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第1章 広瀬川のこれまでと現在

1-2 広瀬川の歴史と文化

 広瀬川には江戸時代から、仙台城下の水運の歴史があります。上流から木材を運ぶ木流しをはじめ、さまざまな物資が輸送されていました。明治期にはサケ漁を筆頭に、川漁が盛んに行われておりました。

 広瀬川にまつわる年中行事はたくさんありますが、多くが厄払いや供養の意味を込めて、水で洗う、あるいは水に流す行事として行われました。現在でも、 仙台七夕花火祭、広瀬川灯ろう流しなどが続けられており、市民吟行会や市民探鳥会などの市民参加型の催しも毎年開催されています。
  また、河岸緑地で繰り広げられる秋の芋煮会は、市民が行楽を満喫する機会 のひとつです。

 広瀬川の水は、発電用、上下水道用、工業用水用、農業用水用に利用され、発電用を除き、そのほとんどが川に戻されず、収奪するのみの一方的な利用形態となっています。仙台市の産業と生活は、広瀬川の水に大きく依存している と言えるでしょう。

 藩政時代、木材を運搬するために木曳堀、舟曳堀、木流し堀、それに農業用水を供給するための六郷堀、七郷堀、さらに広瀬川の郷六からは四ツ谷用水が引かれるなど、城下の人々の生活を支えるための基盤整備が着々と進められました。特に四ツ谷用水は、総延長が最盛期で約44kmと広瀬川の本流に匹敵する長さをもち、現在とは異なる循環水として、当時の市街地内を縦横に流れておりました。

 その一方では、川を守り育てることにつながる取り組みとして、森林育成が積極的に推進され、「杜の都」仙台の素地を作り上げてきました。
  明治維新以降、上下水道の整備や、交通手段が水上交通から陸上交通へ移行するなど急速な近代化が進み、多くの堀は役割を終えて埋め立てられ、人々の生活から遠ざかっていきました。そして、三居沢発電所、上水道、下水道など、広瀬川との結びつきが新たに生まれることになったのです。

 昭和30年代には仙台市の都市化が急速に進んだことにより、水質の悪化、広瀬川へのゴミの投棄などが見られ、市民と行政が一体となって清流復活に取り組みました。その努力は着実に実り、広瀬川の"勲章"とも言うべき次のような評価を受けることになりました。                                      

   * 21世紀に残したい日本の自然100選
      (昭和58(1983)年 朝日新聞社・森林文化協会)
      広瀬川 ―杜の都、シンボルの清流―
   * 名水百選( 昭和60(1985)年 環境庁)
      広瀬川
   * 残したい日本の音風景100選(平成8(1996)年 環境庁)
      広瀬川のカジカガエルと野鳥

 河川行政の取り組みを見ると、河川法の目的が、「治水」(明治29(1896)年) ⇒「治水+利水」(昭和39(1964)年) ⇒「治水+利水+環境」(平成9(1997)年)というように、時代に応じて変化してきたことが分かります。

 平成9(1997)年の河川法改正では、上記のように「環境」の項目が加わるとともに、河川整備の計画策定においては地方公共団体、地域住民の意見を反映する手続きを導入するなど、新しい河川行政の枠組みが定められました。
  広瀬川に関する近年の取り組みも、「治水」、「利水」という基本的なものだけでなく「環境」、「地域との連携」の視点も加えられ新しい取り組みが推進されています。

 重ねて平成12(2000)年の河川法改正に伴い、政令指定都市への河川の維持管理に関する権限委譲も可能となったことから、現在、宮城県と仙台市の間でそれに関わる課題などの調整を行っています。

 仙台市には、広瀬川に関する施策・事業を行っている課が20課以上あり、検討あるいは実施中の施策・事業が40余りあります。市・県・国において、広瀬川に関連する多くの計画、施策・事業が既に作成・実施されており、それら相互の連携・調整が極めて重要であることが指摘されています。

 また、市民活動団体などの取り組みについて見ますと、「市民活動ハンドブック第3版」(仙台市/平成14(2002)年)によれば、仙台市をフィールドとする団体は1000を超え、このうち広瀬川に関わる活動を行っている団体はおおよそ40団体と考えられます。それらの団体は昭和30年代後半に設立されたものもみられますが、平成2(1990)年以降新たに設立されたものも多く、活動内容は、身近な河川敷の清掃から自然観察・河川調査、環境教育、イベント開催、計画の立案・提言など多岐にわたっています。


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