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広瀬川散策エッセイ vol.3-1 雪をかぶる中流、三居沢から米ヶ袋まで

フリーライター/西大立目祥子さん

凍り付く三居沢の滝の下で

米ヶ袋の崖

【米ヶ袋の崖】米ヶ袋の対岸、向山の崖。垂直に立つ崖はスケール感を感じさせる。

広瀬川は、市街地に入るあたりから人とのかかわりが深くなる、とそんなふうに思う。城下町が築かれてからというもの、仙台の人々は川を眺め、川に思いを託し、川に支えられ、つまり川とたくさんのかかわりを持って暮らしてきた。その痕跡が、流れのあちこちに残っている。いくつもの橋はもとより、流れの急な瀬にもゆるやかな淵にもゆかしい名前が残り、水を見下ろすように神社があり、小さな祠がいまも大切に祀られている。そんななごりを一つ一つたどっていくと、冬枯れの、堤防の中を定められたように流れる川の風景の中に、確かに人がかかわった温かな体温が感じられてくる。

三居沢の滝

【三居沢の滝】流れ落ちる水は、長いつららとなって滝壺に達する。

暖冬といわれたこの冬も、1月中旬に入ると急に寒さがきびしくなった。どんと祭の日は、朝から雪。大崎八幡宮に向かう裸参りの行列をテレビで見ていて、思い浮かんだのは三居沢不動堂の滝だった。この寒さで凍っているだろうか─。
翌日、三居沢は雪で白く染まっていた。滝は寒さで凍りつき、表面は長いつららにおおわれ、ガラスの細工物のようだった。滝壺にもぴんと氷が張りつめている。でも、まだ二筋、寒さにあらがうように氷の間から水が落ちてきて、その下だけはシャーベットのようにふわふわした氷が盛り上がっていた。

お経を唱える

【お経を唱える】滝に向かいお経を上げる。一日に一回、長い習慣だという。

見上げていると、うねるように響く人の声が耳に入ってきた。少し離れたところに男性がいて、滝に向かってお経を唱えているのだった。水の音にかぶさるようにお経は続き、その声は取り囲む樹木の間に吸い込まれていく。止むのを待って声をかけてみた。歳の頃は70歳代半ばだろうか、この近くで生まれ育った田中さんという方だった。
「今年は温かいからね、まだまだですよ。最低気温がマイナス4度くらいになってそれが2,3日も続くともっと凍るんです。凍ると霊験あらたかだと、いわれてるんです。お経? 毎日来てるんです。もとはもっといたんだが、いまは私だけかなぁ。何というのか、頭が空っぽになっていい」。

牛越橋の上から

【牛越橋の上から】牛越橋の上から、下流を見る。右手前から、三居沢水力発電所の水が注ぎ込む。

滝を見続けてきた人ならではの話が続いた。「私が子どもの頃は、ここで修験者が滝に打たれ行をしていましたよ。中には亡くなった人もいて、このまわりの墓石はその人たちのものでしょう。修験者は、戦後すぐぐらいの時期はまだいましたよ。まわりの様子もずいぶん変わったんです。木が多かったし、岩ももっと張り出していた。落ちたんです。もとは岩をつたって、滝の上まで歩いていけましたからね」。
市街地に近いとはいっても、戦前、戦後すぐの三居沢はまだまだ山間の雰囲気が立ちこめていたのだろう。深い森の中の滝は、異界を感じさせるものだったのかもしれない。

凍り付く川岸

【凍り付く川岸】米ヶ袋の川辺。川岸はすっかり凍って白くなっていた。水はシャリシャリと音をたて氷を溶かしながら流れていた。

やがて、もう一人年配の男性が現れ、コンパクトカメラで滝をパチリパチリと撮り始めた。たずねると、泉パークタウンから敬老パスでやってきたという。
「私は米ヶ袋育ちでね。片平丁小学校の遠足で滝を見に来ましたよ。滝壺に顔を入れて何分我慢できるかなんて、競争してねぇ。団地は静かでいいんですが、やっぱりこっちがなつかしい・・」。
子ども時代に親しんだ滝が、いまだに胸の奥深くに生き続けているのだ。その人は「もっと寒い日が続いたら、また来てみますよ」と小雪舞い散る中に消えていった。

三居沢水力発電所

【三居沢水力発電所】明治42年竣工という木造の建物は登録文化財に指定されている。水は手前の堰に放流される。

前回歩いた郷六の北堰で取り入れられた水は隧道を流され、滝のすぐ近くにある日本初の水力発電所「三居沢発電所」に運ばれている。ここにあった紡績紡会社が発電し、初めて電灯を灯したのは明治21年(1888年)のことだった。発電所はいまも現役で、明治42年竣工という木造の建物の中では発電機が動いている。近代産業の象徴のような発電所と修験者の滝が隣り合うようにあったことの不思議。それもまた人のかかわりの結果なのだろうけれど。

水は発電の役目を終えた後、広瀬川に放流される。しんと静まりかえるような風景の中にあって、その水だけが青々と躍動して、牛越橋のたもとから本流に勢いよく注ぎ込んでいた。

 

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