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広瀬川散策エッセイ

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紅葉に染まる郷六から愛子へ
フリーライター/西大立目祥子さん   

二つの堰が語りかけてくること

生瀬橋の上から 11月下旬、紅葉は里まで下りてきた。
 青く高い空が広がったある日、八幡町から愛子方面へ国道48号線を車で走った。八幡5丁目を過ぎると、正面には丘陵の色づいた木々が迫ってくる。右手にもまた、赤や橙、黄に染まった樹木が、日射しを受けて明るく輝く。山は街のすぐ近くにある。あらためて、仙台は広瀬川の中流に発達した都市なのだと思った。
 だから、こんなにも川は蛇行する。今回の川歩きの範囲は愛子駅のあたりから八幡町近くまでと決めたのだけれど、地図で眺めると、西から東へと進む流れは開成橋下流の大勝草おおがつそうあたり、そして宮城インターチェンジに近い郷六ごうろくで曲がりくねり方向を変える。そこで広瀬川がどんな表情を見せているのか、確かめたくなった。

四ツ谷堰 郷六といえば、真っ先に思い浮かぶのは「四ツ谷堰」である。藩政期初頭に計画され、四代藩主綱村の時代に本格的に施工されたというこの堰は、川の左岸に舌のように突き出た段丘の西の根元に、いまも築かれている。ここから取り入れられた水は、城下を縦横無尽に走って町場の暮らしを支えてきた。何度も何度も洪水で流されては少しずつ場所と形を変えて築かれてきた堰は、どんな雰囲気をたたえてそこにあるのだろうか。

四ツ谷用水事務所 そして、地図上では、その下流にもう一つ、ちょうど舌先のような場所で流れを堰き止める「北堰」が見える。その水はどこへ導かれているのか。国道沿いの葬祭会館わきから、川へと近づいてみた。
 段丘上には角の丸い小さな田んぼが連なり、キャベツやネギを植えた畑が広がっていた。住宅の間を抜けると、民家の庭先の畑の向こうに北堰が姿を現した。地図で想像したのより、巾も長さもずっと大きい。川岸にはフェンスが立ち柵の中への立ち入りを禁止する東北電力の札が掛けられ、対岸からは西道路をゴーゴーと行き交う車の音が響いてくる。私自身、堰があることも知らずに、いつも道路を走り抜けていることに気づかされた。

北堰 その家の方が出てこられたので声をかけたら、ずいぶんと気さくにいろんな話をしてくださった。佐藤雪子さん、75歳である。
 「そう、あれが北堰。水は、三居沢の水力発電所に流されてるの。知らなかった?このへんの人はみんな知ってるよ。いつからあるのか……私は向こう岸の久保っていうところで生まれたんだけど、物心ついたときはあったから、ずいぶん古いものでしょ。昔は石だったのがコンクリートには変わったけどね。ここは水かさがないから、実家に帰るときなんかは、いつも川を歩いて渡ってるの。みんな昔からそうしてたよ。たまに長靴が流されることはあったけどね。まぁ、今年の夏のような水の多さでは無理かもしれない。立ち入り禁止っていうのは、最近のこと。いま53歳になる長女をはじめ、子どもたちもみんな川で泳いだねぇ。それがだんだん汚れてドロドロでとても入れなくなって……でもずいぶんきれいになった。水が透き通ってコイが見えるようになったもの。下水道の設備なんかが整ったからでしょ」。川辺で水を眺め、水に親しんできた人の実感のこもった話だった。ここに三居沢発電所の取水門が築かれたのは明治末期のことである。

北堰上流 「四ツ谷堰はもう少し上流、行ってごらん」と佐藤さんに背中を押され、10分ほど歩いて川岸に近づき眺めた。近くの倉庫で作業をしていた初老の男性2人に「あれが四ツ谷堰ですね?」とたずねてみたが、わからない様子だ。暮らす人でなければ堰も川も、眺め親しむ対象ではなくなるのかもしれない。流れに対して斜めに延びる堰は、決して目立つ建造物ではなく見過ごされてしまうものだろう。けれども300年以上にもわたってここで水を堰き止めてきたのかと思うと、感慨が湧く。そして、大水で堰がさらわれるたび、幾度も幾度もこの場所に堰を築いた人々にも思いが至る。さまざまな地理的な条件から、堰はこの郷六になければならなかったのだ。郷六がダメージを受ければ仙台の中心部もくずれる─ここはライフラインのアキレス腱のような場所だった。いま、堰を眺めゆっくりと歴史に思いをめぐらすには、周辺はあまりに車が多く騒々しくせわしないのだけれど。

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