『卒業後の活動』

●聞き手

卒業後、伊達さんは福祉関係の仕事に就かれたそうですが、当時の苦労話、笑い話などお聞かせください。

●伊達さん

笑い話はたぶん記事にできないでしょうね。困っているお年寄りがこんなにたくさんいることに、仕事を始めて気がつきました。

●聞き手

営業で回られたんですか。

●伊達さん

そうです。

●聞き手

お年寄りの話に、何時間も付き合わされたなんてことはありましたか。

●伊達さん

話をすることは好きなので、それは楽しかったですよ。お客さんとして知り合った方が亡くなっていくのも何人か見てますけど、そうなるととても寂しかったり、身内のように接してきた人が亡くなったりすると悲しかった。一時期、亡くなっても何も思わなくなるようにまでいったときがありました。
介護用品のレンタルもしていて、マットを利用していたおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなると、マットを回収しに行かなくてはならないんですが、葬儀社より早く行くと、遺体を移動させなければいけなくて、まだ温かい状態なんですよね。何とも言えないんですよね。

●富澤さん

まぁー、笑い話ですけどね。

●伊達さん

笑えるか!!

●聞き手

お笑いの仕事をされている今でも、そういった話題に関心はありますか。

●伊達さん

ありますね。新聞などで「福祉」なんていう字を見ると気になりますね。

●聞き手

では次に、富澤さんにお聞きしたいのですが、伊達さんより先にお笑いの世界を目指していたとのことですが、主にどういうことをされていたのですか。

●富澤さん

月に2回ぐらいライブに出ていたくらいで、あとは駐車場でバイトをしていました。

●聞き手

仙台でですか。

●富澤さん

はい、そうです。

●聞き手

ネタづくりはご自身で考えられているのですか。

●富澤さん

はい。

●聞き手

それを誰かに見せて、手応えを試したりするのですか。

●富澤さん

コンビ間でやってみることはあります。

●聞き手

富澤さんが、伊達さんを誘ったと聞いていますが、富澤さんから見て伊達さんに笑いのセンスがあると思われてのことだったのですか。

●富澤さん

そうですね。

●聞き手

ラグビー部の中でも、話が上手だったのでしょうか。

●富澤さん

話が上手というよりも、突っこんだり、間の取り方がうまいなーと思っていました。

●聞き手

何回か口説かれて、何回か断っているということでしたが、本心まんざらでもなかったという感じですか。

●伊達さん

まっ、そうですね。興味はあったんですが、現実的ではないというか。東京へ行ってお笑いをやるということに関しては、全く実感がなかったし、東京というものに、何かいや~な感じを持っていました。どうやったら食べていけるのか不安もあったしね。会社員だった当時は、安定していましたからね。
ただ、人が亡くなっていくのを見ても、案外人ってあっけなく死んでいくんだなと思って、やりたいことはやった方がいいなーという風に思ったんですね。そんな風に一番強く思ったのは、おじいちゃんが亡くなった時だったんですけどね。それがきっかけになりました。

●聞き手

東京に対して気がすすまなかったにも拘わらず、東京に行くわけですが、誘われてからどのくらいの期間で気持ちを固めたのですか。

●伊達さん

やってみようと言ってからは早かったですよ。会社にすぐ言って辞めましたから。それから3ヶ月ぐらいで東京に行くことを決めましたから。

●聞き手

想像していたとおり、東京での生活は苦しいものだったのですか。

●伊達さん

最初、東京に行って1ヶ月も経たないうちにホリプロのオーディションに受かって、意外にもとんとん拍子で入れたんですよ。

●聞き手

ホリプロといったら誰もが知っている大手ですよね。

●伊達さん

そうですよ。ただ上司と合わなかったり、自分らのネタについてもゴチャゴチャ言われるわけですよ。あーしろ、こーしろと。それがどうしても納得がいかなくて。やりたいことをやりに行ったのに、やらされている感じがあって辞めたんですよ。そこから7年くらい地下に潜ってましたね。ネタを作り、ライブをしながらね。

●聞き手

今思うと、分岐点だったんですかね。

●伊達さん

半年も所属せずに辞めましたが、辞めて良かったと思っているんですよ。当時の人たちで、辞めずに残っていても、出てきた人はいないですね。

●聞き手

当時、二人の気持ちは一緒だったんですか。

●伊達さん

一緒でしたね。

●聞き手

東京に行ってから10年間、同じアパートで生活していたそうですが、どんな暮らしをされていたのか興味があるんですけど。

●伊達さん

えっ、興味あります?

●聞き手

食事はどうしてたのかだとか、どちらが作っていたのだとか。

●伊達さん

もうバラバラでした。プライベートについてはお互い干渉しないことにしてましたので。

●富澤さん

ルームメイトという感じでした。

●聞き手

食べたい時、好きに食べるという感じですか。

●伊達さん

そうです。食器もバラバラでしたし。

●聞き手

「敗者復活サンドウィッチマン」に載っている写真を見ると、大分色々なものが…。

●伊達さん

いいですよ。汚いって言って。言葉を選んでくれてうれしいですけど。

●聞き手

掃除はどちらがするんですか。

●伊達さん

基本的には僕です。富澤は10年間で2回ぐらいじゃないですか。掃除機かけたの。

●富澤さん

僕は溜めて一気にやるんですよ。

●聞き手

5年に1回ですね。

●伊達さん

オリンピックより1年長いね。

●富澤さん

掃除って、やる時のタイミングがあるじゃないですか。今やったら迷惑かなとか。こいつが田舎に帰って部屋にいない時にガーっとやるんですよ。やる時は、窓とかも外してピカピカにしたい人間なんですよ。でも5年に1回ですけどね。

●聞き手

あー、気になり始めたら徹底的にという感じですかね。

●富澤さん

そうです。

●聞き手

今年、10年住んでいたアパートを出て、それぞれ引っ越しされたとのことですが、それはM-1グランプリの賞金が資金になったのでしょうか。

●伊達さん

多少はなっていますけどね。10年分の垢を賞金で流した感じですね。優勝して6ヶ月は一緒に住んでいたんですよ。休みが1日もなかったんで。家を見に行く準備もなかったですね。それでも毎日家には帰ってましたけどね。

●聞き手

伊達さんは、お父さんから「伊達」の名を名乗るなと言われていたそうですね。

●伊達さん

言われてましたね。でも僕は伊達という名前が好きだったし、それが脚光を浴びるのではないかなとも思っていたので、最初から名乗ってましたよ。別に悪いことをしているわけではないのでね。

●聞き手

有名になると、急に親戚が増えると聞きますがどうでしたか。

●伊達さん

増えましたね。「幼い頃、抱っこしたのよ」とか言われちゃったりしてね。

●聞き手

伊達という名が、仙台をイメージさせますね。

●伊達さん

そうですね。でも「伊達公子」の方が上をいっているのでね。(笑)
伊達公子のルーツは、確か四国宇和島の伊達家なんですよね。東北ではないはずです。でも「伊達公子」も「伊達みきお」も似てますもんね。気をつけなきゃ。