第2回 初めて覚えた言葉は「どざえもん」!?
子供時代の思い出

●聞き手

そんなミステリアスな雰囲気が漂っていた一方で、
どんどん宅地開発が進むという
ちょうど時代の変わり目だったのかもしれません。
子供の頃に広瀬川で遊ばれたことはありましたか。

●荒木さん

父が若林の生まれで、幼少の頃は若林区に住んでいました。
宮城刑務所の傍で、
その刑務所がまたミステリアスなんですけど(笑)。
ずっと、塀の向こうはどうなっているんだろう?
と思いながら育ちました。

●聞き手

そうした生い立ちから「ジョジョ」は
生まれるべくして生まれたような気がします。
ちなみに宮城刑務所は、
政宗公が隠居後に過ごした若林城跡に建てられており、
堀には広瀬川から取水した水が流れています。

<参考 六郷堀七郷堀非潅がい期通水事業>

●荒木さん

広瀬川は当時住んでいたところからも近かったので、
よく遊びに行っていましたよ。
毎年7月1日にアユ釣りの解禁日には、
父に連れられて一緒に胴長をはいて釣りにいっていましたし。

<参考 広瀬川でのアユ釣り風景>

●聞き手

先生が胴長をはいて川に入っているところは、
想像し難いですが、広瀬川は幼い頃から
身近な存在だったんですね。

●荒木さん

実は子供の時に、最初に覚えた言葉が
「どざえもん」なんです(笑)。
今は広瀬川に対して、
皆さんきれいなイメージしかないと思いますが、
当時は犬の死体とか流れてくることもあって、
周りの大人たちから
「どざえもんになるから、川に行く時は気ぃつけなよ」
と言い聞かせられていたみたい。
昔はそうした危険に対して、
地域のお年寄りたちの目配りもあったんですね。

●聞き手

子供が初めて覚える言葉としては、
かなりショッキングな言葉ですが。

●荒木さん

川でどうやって遊ぶかを教えてくれていたのだと思います。
川遊びは自己責任だから、自分自身で気を付けないと
ダメなんだよ、ということで。

●聞き手

当時はまだ水難事故で亡くなる方が少なくない時代ですよね。

●荒木さん

何か事故があると今だとすぐ行政が責められがちですが、
当時の川遊びなどは自己責任でしたね。
あと、南蒲生浄化センターができる前には
あの辺や河口の閖上のあたりで泳いだり、
キャンプをしたりしました。
それと秋にはもっと上流で芋煮会が定番でしたね。

●聞き手

杜王町編には出てきませんが、
先生も芋煮会はよくされていましたか。

●荒木さん

もちろんですよ!やはり父に連れられて二口渓谷や
奥新川などへ行ってやっていました。

<参考 奥新川ライン>


父はアユ釣りだけでなく、
雉撃ちやきのこ狩りなどもやっていましたので。

<参考 広瀬川宮沢緑地周辺の雉>

●聞き手

広瀬川の近くにお住まいの方は、
狩猟民族の血が流れているかもしれないですね。
この広瀬川ホームページで今年取材させていただいた
大年寺山のふもとでハチミツつくりをされている方も
冬になると狩りに行くそうですし、
以前奥新川で芋煮会の企画でお世話になった方も
渓流釣りやきのこに通暁されていましたし。

<参考 新川ライン>

●荒木さん

きのこは難しいですよね。
同じ種類でも宮城県で食べられるのに、
お隣の福島県では毒を持っているものもあるそうですね。
あと、仙台の人は東京に行っても、
芋煮会の話題で盛り上がりますよね。
「芋煮会してた?」
「河原でやるんだよね」って。
でも、東京の人と話すと「それってバーベキューのこと?」
と聞かれますが、
「いや違う違う、芋煮会では煮るんだよ、
河原で肉は焼かないよね~」みたいな(笑)。

●聞き手

仙台出身者同士だと芋煮会って言うだけで
すぐ分かり合えたりしますよね。

●荒木さん

そうなんですよ。いや~芋煮会はいいですよね。
いろんな人とコミュニケーションできたり、
河原で家族の輪とか確認できたりして。

<参考 牛越橋上流河川敷での芋煮会の様子>

●聞き手

「芋煮会」と聞くともうそれだけで仙台のことを
思い出したり、故郷に帰ってきたな、
と実感できたりしますよね。

●荒木さん

そうそう。今頃もまだやっていますか。

●聞き手

牛越橋の上流が広瀬川での芋煮会の聖地となっていて、
学生さんが中心ですが、天気の良い日は
朝から場所とりしたりしているそうです。
そろそろ寒くなってきたので、
もう下火になってきているようですが、
つい先日もここから見えるあの米ヶ袋の河原で
やっていました。

<参考 米ヶ袋河川敷での芋煮会の様子>


●荒木さん

そうなんですか。今の学生さんはバーベキューですか?

●聞き手

メインはやはり芋煮だと思います。

●荒木さん

ですよね。よかった(笑)。