vol.3 女優 杜けあきさん

平成16年7月13日(火)
14:30~15:15 六本木 Pe'z magic
聞き手:白井信雄(三井情報開発(株)総合研究所)

『名前の由来』

●聞き手

杜さんの仙台市への思い入れは、「杜けあき」というお名前にも表れていると思いますが、「杜けあき」というお名前はどういった理由でつけられたのでしょうか。また、"杜"という字にどういった思いを込められたのでしょうか。

●杜さん

「けあき」は本当に単純に「けやき」よりも「けあき」の方がより華やかだったので、自分のインスピレーションで「あ」に変えました。「杜の都」の「杜」であり、県木であり市木でもあるというのも、名前をつけた後に知ったんですよ。だから、全部後からという感じで。でも、これも私にとってはひとつの運命のような気がしています。
名前は、それこそ家族みんなで考えたんですけど、父などは「伊達政子」とか「青葉茂子」とか、色々な仙台にまつわる名前を考えてくれて、みんなでゲラゲラ笑ったりして楽しみながら考えてました。

●聞き手

「広瀬川あゆ」なんていうのは出なかったですか。

●杜さん

「広瀬川」は出なかったですね。「広瀬」っていうと、普通の名字にもあるというイメージがあるので出なかったんだと思いますけど。宝塚という世界は、ちょっと現実から離れたようなところが素敵な部分でもあるんですね。だから、シンプルでなかなか無い名前だということでこの名前を選んだんです。
後から考えると、本当に仙台を象徴しているような名前になってしまったので、なんか大それた名前をつけてしまったなと思ったこともありました。でも、やっぱり名前というのは自分の生き方とかそういうことも表せるので、仙台の名に恥じないような生き方をするためにも、良かったなと今は思っています。

●聞き手

確かに大きい名前ですよね。また、"杜"という字には「鎮守の杜」といわれるように、神聖なものであるとか、いろいろと意味がありますね。

●杜さん

後から、この「杜」というのは神様の宿る森にしかつけないということを聞いて、そういうことを何も知らないでつけたのに、すごく幸せな気持ちになりましたね。

●聞き手

自然は自然のままにするだけではなくて、人の手もかけて守らなければならないという、そういう意味もこの字にはあるのでしょうね。

『石ころゴロゴロの川』

●聞き手

小さい頃の広瀬川の印象というのはどのようなものだったのでしょうか。

●杜さん

本当に子どもの頃は、大きい川とか、石ころゴロゴロの川というイメージでしたね。
ただ、両親が新婚時代に広瀬川の川べり、米ヶ袋辺りに住んでいて、川を通るたびに、両親から「ここは昔ね~」と昔話を聞いていたイメージがあって、八木山動物園に行くのに必ず川を渡らないといけないとか、そういうとても印象深いところなんです。
私はすっかり忘れていて、母が思い出してくれたんですけど、小学校5年生の時に、広瀬川の石を50個ぐらい拾いに行って、自由研究の題材にしたらしくて、地学を習ってる近くのお兄ちゃんに聞きながら、広瀬川の石を調べた経験があるんですよ。研究を学校に持っていくときは、とても重たかったらしいですけどね。拾ったのはなんとなく憶えているんですけど、苦肉の策の研究だったと思うので‥。
それで思い出したんですが、そういえばあそこの川は、例えば川の周りが発展するというよりもいつまでも自然のまま、昔のままで手が加えられず、自然の石がいっぱいあった。それで、そこに行ったということですよね。
だから、逆に今の時代、人がそこに集まりにくくなっているということは、大変よく理解できますね。

●聞き手

やはり、自然すぎてしまう。

●杜さん

そういう場所は、憩いの場所にはなりにくいですよね。くつろげる場所ではないという感じがします。自然のままの美しさをどちらかというと、身近というよりは、見物するもの、そういう印象が強いですね。

●聞き手

仙台の市街地は、他の街と比べて少し変わっているんですよね。普通は、市街地は河口にあって、平坦なところに川があって、市街地と同じ目線に川があるんですが、仙台の市街地は広瀬川の中流につくられたので、崖があったりして、川が深いんですね。それで、人が近づきにくくなっています。

●杜さん

そうですね。私の場合、公演なんかで全国に行くじゃないですか。そうすると、川の周りにはいろいろなイベントのできる空間とか、様々な整備や工夫がされていますけど、広瀬川は、私の小さい頃のイメージと全く今も変わっていない感じがありますね。
でも、どっちがいいかと言われたら、どっちとも言えないですね。大自然であることもすごく有意義なことだと思います。でも人が集まりにくいのは事実だろうなと思います。

『のどかな大都会』

●聞き手

市街地のすぐ横に大自然があり、大きな小鳥なんかがいたりして、それが自慢だったりするわけですよね。それが例えば縁遠さにもつながっていたり‥。

●杜さん

価値観ですよね、もう本当に。そこが、いちばん難しいところなんだろうなと思いますね。私は宝塚時代から、自己紹介で「のどかな大都会、仙台出身のチャキチャキの田舎者、杜けあきです。」と言っていたんです。都市と自然が共存し、そして情報がたくさん入ってきて大都市になったんだけど、人間の真心が生きている。そういう全てが背中合わせにちゃんとあると、そこが仙台のいちばん好きなところでもあります。それこそ、本当にニューヨークあたりと似てますよね。あそこだって、ちょっと行ってしまえば自然がたくさんあって、すぐに田舎に行けますから。
小さい頃は、自然を守ってほしいなんて思ってませんでした。でも、今こうやって仙台から離れているからこそ、都会と自然が共存している素晴らしさというのは、東北ならでは、仙台ならではと思いますね。
それから、仕事で仙台に来て画を撮る時に、政宗公のところと広瀬川、あと定禅寺通とかは必ず撮らせて下さいと言われます。それだけ、都会の中に大きな川があるというのは外の方々にとっては印象的なんでしょうね。
私は、正直に言えば、広瀬川だけのことを考えるということはなかったのです。しかし、さとう宗幸さんの歌もそうですけど、「広瀬川~」から始まるんですよね。これだけ故郷の象徴だったんだなというのを、逆にちょっと見逃していたかもしれないなと実感しています。今までは、ケヤキ並木ばかりが取り上げられて、イルミネーションもいいですし、あの並木はやっぱりすばらしいので、ちょっと負けているかなという感じがあるのは否めないかなと。今回、この広瀬川創生事業やインタビューの話をいただき、私自身も、もうちょっと広瀬川に目を向けてみようと思いました。