『川に見返される人間』

●聞き手

文学者の中で、広瀬川の捉え方に共通する点があるんでしょうか。広瀬川を怖い川と捉えている訳ではなさそうですが。

●佐伯さん

そうですね。昭和20年代までは洪水もあったでしょうけど、今はかなり生活に密着した川となっている。生活に身近な川ということもかも知れません。
また、広瀬川は川の顔が豊かだと思います。表情といっても良いんだけれども。僕は、暇さえあれば川べりを歩くのが好きなんですけど、川の流れ方に学ぶことができる。例えば、今までのバブルまでの日本、高度成長の時代というのは、あえて言えば「火の時代」というか、燃えさかって、皆激励して、さあやろうぜというようなことだった。人間もそうだったし、時代もそうだった。ガーッと燃え上がっていた。でも、火というのはいつか消えちゃうものですから、それを消さないように皆頑張ろうというのでやってきた時代だと思います。その中で出来ないこともあるかもしれないということで、大義名分を断固として押し通すというような戦争も起こる。それがバブルが崩壊したりして、アメリカのイラクに対する戦争なんかにしても、大義名分をお互いに火を燃やすように主張することは、これからの時代では違ってくる。
これは人間の在り方でもそうで、環境問題でもそうですけども、皆が加害者でもあり被害者でもあると思うのです。どちらかの立場だけを火が燃えさかるように主張しても始まらないのだから、どこで妥協点なりを見出すかという時代になってきている。
水というのは、最初はチョボチョボした分水嶺からの滴りなどから始まったのが小流れになって、それが中流になって、やっと集まったかと思えば、滝になったり、河岸段丘をつくって、淀みになってしまうこともあり、いろんな姿に変える。
しかし、どんな姿になってもそれは川であるということを止めないという、その粘り強さというか。人間も自分のプライドを汚されたら、それが無くなるという風に考えるのではなくて、プライドを傷つけられるようなことがあるにしても、自分で自分の在り方を少しずつでも変えていって、川の流れの様であればいいと思う。そういう在り方というのを、僕達は川から学ぶこともあるのではないかと思います。
その場合に、広瀬川はいろんな表情を見せてくれる川なので、とても参考になる川ではないかと思います。
昭和40年代の公害の時、広瀬川でオイカワからアユから何百匹も上がって来て、食べようと思ったけれどもすごい油臭くて全く食べられなかったという状態もあったけれども、今では見事に再生してきている。病にあった人間が癒えるのを見ているような気もします。そういうものを広瀬川は、いろいろと見せてくれるのではないかと思います。

●聞き手

火の時代から水の時代へ…、ですね。

●佐伯さん

僕も川を歩いて、川を見ていますが、逆に、川から人間は見返されているように思います。お前達こういう人間の在り方でいいのかと。
このことは、40歳を過ぎた頃から考えるようになりました。それまでは、一方的に川であったり、鳥であったり、樹木等を見るのは好きだったんです。けれども、40歳位から、向こうから「お前の生き方、それでいいのか?」という風に見られるというか、見返されるというのかな、そういうことを感じるようになりましたね。川べりを歩くと、対話をしながらという気がします。
そう思うと、人間達が好むように川に手を入れなきゃというふうに言うけれども、それさえも川の方からしてみれば迷惑かもしれないし、おこがましい話かもしれないとも思います。だから、ちょっと川の声というか、こっちを見返している視線みたいなものを、心静かにして見てみるっていうのも人間の側も必要なんじゃないかと思います。

●聞き手

ゆっくりと対話するような時間の過ごし方がなかなかできないですね。

●佐伯さん

そうですね。
僕の小さいときなんかもそうでしたけど、仕事に行ってる時はそんなに川を歩くことはなかった。東京なんかでは特にそうですけど、どうしても郊外に住んでいるから通勤電車の中で渡るもの、それが川ですよね。川を渡って会社に行き、川を渡って家に帰るというような、そういう存在だと思います。仙台でもそれは変わらない気はします。
ただ、仙台ではよく川べりを歩いている老人の方なんかがよくいます。そのように散歩する場として適切な場所なんだろうと思います。仕事をしていた時は、家庭の父親であったりとか、どこかの課長さんであったりとか、ネクタイ締めて川を渡っていたんだろうけれども、それをひとたび辞めて普通の一人の人間に帰って、川べりを散歩している姿を見かけると、なるほど川のもとで一人の人間に帰っていくのかな、という思いを持つことがあります。
五月頃に川を歩いていて、そういう人から、ウグイの小さいやつでマルタと言う魚がばーっと遡上してきて、仙台大橋から広瀬橋の間くらいのところで産卵するというのを教えられて、感動したことがありました。僕が18歳までいた頃はあんまり遡上してくる風景は無かったんですけど、今はやっぱりきれいになったこともあるのでしょうし。

『ライフテーマとしての川』

●聞き手

今後、川の本、広瀬川の本を書かれるようなお考えはありますか。

●佐伯さん

貞山堀とか、伊達家の北上川の河口を書いたりしたのもそうですけど、それについてはいつか書くつもりです。
僕にとって、川っていうのは身近なものです。自分に身近なもので良く知っているものを書いていくのが僕の小説のひとつの流儀ですから。
僕の一麦というペンネームもゴッホが麦畑の絵を描いたということからきています。ゴッホが麦畑を描いたとすれば、自分もそれぐらい水、川の姿を書いていきたいと思っています。
川は僕のライフテーマだと捉えていて、『川筋物語』はその中間の書として、取っ掛かりとして書いたものです。川をライフテーマとすることは、編集者と約束しているんです。ライフテーマですから何十年後になるか分かりませんけどね。
川は、人間臭くて、人間らしいと思うんです。川は、人間の在り方も、自ずから指し示してくれるところがあります。そういう意味では、川を書くということは人間を描くということにもなると思います。

●聞き手

川は歴史の積み重ねだというお話がありましたが、自分達がどのような意志を持って、将来に何を積み重ねていくかという問題もありますよね。そういう意味で、広瀬川の地層に佐伯さんが積み重ねたいものがあるとすれば何でしょうか。

●佐伯さん

自分達の生活が、ここにまた地層として重なっていくんだということを自覚するということぐらいでしょうか。ただ、そこに川を汚したような跡が、例えばビニールとかが地層から出てきたりなどということが無いような地層ではありたいと思いますけどね。

『佐伯一麦さんにとって』

●聞き手

最後に、佐伯さんにとって、広瀬川とは一言で言うと何でしょうか。

●佐伯さん

川の表情、顔が豊かであるということと、そうしたいろいろな川の姿の在り方、流れの在り方が、自分達人間の生き方も考えさせてくれるような川ということかな。とても生活との距離が近い、密着している川だと思います。

●聞き手

本日は、どうもありがとうございました。川と人の姿を一体として書いていく佐伯さんの、ますますのご活躍を楽しみにしています。