vol.5 シンガーソングライター 稲垣潤一さん

平成17年6月23日(木)
15:30~16:30
中野坂上ハーモニータワー1F KEYAKI
聞き手 : 稲荷 誠(三井情報開発(株)総合研究所)
丹野 靖子(仙台市建設局広瀬川創生室)

『仙台でのバンド活動』

●聞き手

稲垣さんは、1982年にシンガーソングライターとしてデビューされています。デビュー前には仙台で長い間ライブ活動をされ、その後上京し本格的な活動を開始されています。デビューに至るまでの経緯をご紹介頂けますか。

●稲垣さん

僕は、初めてバンドをつくったのが中学3年生の時で、その頃からドラムを叩きながら歌うというスタイルをとってきました。高校卒業と同時に、バンド活動によってお金を頂くというセミプロとしての活動に入りました。仙台には当時バンドの入っているお店がいろいろあったので、そういうところで歌ってドラムを叩いていました。1年弱くらい活動してから、バンドのみんなで東京に出てきて1年ちょっとくらい活動していたのですが、そのバンドが解散したので僕はまた仙台に戻りました。
仙台に戻ってからデビューするまで10年位の間は、バンドの入っているお店で活動していました。当時仙台にはバンドの入っているお店が30~40軒あったのですが、そういうお店のほとんどでやりつくしたと言っていいくらいです。
そうした活動をしているうちに、仙台にスコッチバンクというお店があるのですが、そこにTV局のスタッフの方がたまたま飲みに来ていて、僕の歌を気に入ってくれ、トントン拍子でデビューになったんです。

●聞き手

仙台での10年弱の活動が、現在の活動のベースになっているということですね。

●稲垣さん

もちろんそうですね。当時セミプロ活動としては、ダンスパーティー、ディスコ、ビアガーデンなど、ありとあらゆる所で歌っていました。ドラムですので、スタンダードをはじめ、タンゴからラテンからあらゆるジャンルの曲を叩かなければいけません。このセミプロ活動中にいろんなお店でいろんな音楽と出会えたことが、少なからず今の僕の音楽に影響を与えているということは事実ですね。

『ラジオ番組や映画音楽からの影響』

●聞き手

音楽に興味をもつようになったきっかけや思い出を教えてください。

●稲垣さん

僕がビートルズの音楽と出会ったのが、小学生の頃です。当時仙台では洋楽を聞ける番組は数少なかったのですが、その少ない中にも僕にとっての情報源みたいな番組がありました。その1つが、湯川れいこさんがDJをされていた「全米トップ40」という番組です。当時は、レコード屋さんに行ってレコードを買うことがなかなかできなかったんです。だから、洋楽を聞ける唯一の情報源はラジオだったんです。
もちろん、ラジオやテレビからの歌謡曲の影響というのもありましたが、どちらかと言えば、洋楽の影響のほうが大きかったように思います。

●聞き手

その他に、ご自身の音楽に影響を与えたものはありますか。

●稲垣さん

うちの父が映画好きだったので、日曜日になると一緒に映画館に行くことがよくありました。映画音楽も、少なからず僕に影響を与えていると思います。

●聞き手

どのような映画を見ていましたか。

●稲垣さん

007の初期のシリーズはだいたい見てますし、ベン・ハーとかキング・オブ・キングスとか、いわゆる大スペクタクル映画と言われるものはほとんど見ました。あと、ジェリー・ルイスの喜劇のシリーズなど、とにかくいろいろなものを見てましたね。

『活発な仙台のイベント』

●聞き手

当時の仙台では音楽の情報源が少なかったというお話しがありましたが、最近では定禅寺ストリートジャズ・フェスティバルが開催されるなど音楽活動が活発になっているように思います。現在の仙台の音楽活動やイベントの状況を、どのようにご覧になっていますか。

●稲垣さん

僕が仙台にいたころはそういうものはあまりありませんでした。仙台を離れてから、定禅寺ストリートジャズ・フェスティバルや、年末にイルミネーションを灯している光のページェントといったイベントが始まりました。ずいぶん長く継続していると聞いて、すごいことだなと思っています。
それと、ジャズフェスも光のページェントも、ボランティアで活動に参加されている方がとても多い。光のページェントは今年で20年ですよね。20年もボランティアで継続するってとても大変なことなんですよね。ますます長く続いていくといいなと思います。

●聞き手

実際に行かれたことはありますか。

●稲垣さん

光のページェントでは20周年ということで、今年は僕も歌うことになっています。ジャズフェスは実際まだ見たことがないのですが、僕が仙台にいたころから地元でミュージシャン活動をやっている知り合いがスタッフをやっていることもあり、一度是非見に行きたいと思っています。