『広瀬川についての思い出』

●聞き手

仙台は広瀬川の中流域に発達した街ですので、パリとセーヌ川がセットになっているように、仙台と広瀬川とは一体の風景をつくっています。
内館さんは東北大学大学院に入学する前に、以前仙台で仕事場を探しに来られたとも伺っていますが、当時の仙台と広瀬川に関する思い出はありますか。

●内館さん

大学院に入るよりずっと前に、川が見えるところに仕事場を持ちたいと思ったことがあり、仙台に物件を見に来たことがあるの。
最初は京都の鴨川を第一候補に考えて、京都の知人に頼んでいくつか物件を探してもらい、見に行ったんです。その時には母も一緒に行ってくれたんですが、何件見ても、私が「部屋からの鴨川の見え方が気に入らないわ」って気に入らないわけ。そしたら、突然母が、「今まで全然京都に縁がなかったんだから、鴨川もいいけども、もっと自分に縁のあるところを探してみたら」といったのね。その時に“あっ、広瀬川だ!”と思ったの。
それからすぐに、仙台にいる叔母に頼んで広瀬川の見える物件を3~4件探してもらって、部屋を見に来たんですよ。今思えば当時はまだ安かったなー・・・でも、その時も広瀬川の見え方が、やっぱり気に入らなかったの。その後も不動産屋さんに、ここに机をこういう風に置くから、原稿を書いていてぱっと目を上げた時に、広瀬川をこう見たいとかって私、うるさいわけよ。川に対しては。それでさらに探してもらって、トータルで私3回ぐらい見に来ています。仙台に住む叔母もつきあってくれて。でも結局買わなかったんですね。理由は向こうも呆れてましたが、川の見え方が気に入らないということで・・・。今の仕事場は東京の赤坂で、国会議事堂しか見えないですが、やっぱりいつかは、広瀬川とか、川が見えるところで暮らしたいという想いはすごくありますね。

●聞き手

当時もしも眺めが気に入った物件があったら・・・

●内館さん

即決で買ってましたね。絶対。

●聞き手

その時もし仙台に仕事場を移していたら、内館さんの作品のカラーもかなり変わっていたかもしれないですね。

●内館さん

それはどうかな、仙台は大都会だし、また1時間半あれば東京に行っちゃうわけだし。でも、街中に川があって、ちょっと行けば温泉があって、明らかに東京とは違う香りがある。伊達62万石の歴史と、市民に誇りがある。ですから、もう少し作品に「大らかさ」を纏わせられたかもしれませんね。

●聞き手

最新作の「エイジハラスメント」という小説では、重要な場面で仙台が出てきます。

●内館さん

若さに執着するヒロインが、何とか自分の顔を若返らせたいと思って美容整形に行くわけです。東京在住のヒロインにしてみれば、美容外科に入っていくところを知り合いに見られたくないから、どこか地方都市ですよね。でも上手な医師は大都会にいるだろうと考える。それで、私はすぐ仙台にした。それに仙台だったら今から取材に行かなくても書けるしね。ヒロインはいざとなると、整形する勇気がでなくて、決心がつくまで広瀬川を眺めるの。大橋のたもとで広瀬川を見下ろしている時、女子高生達が大橋をランニングしていく。整形に迷う女と女子高生、広瀬川と新緑というシーンはなかなかいいですよ。

●聞き手

その後ヒロインは青葉通の街並みを見ながら、仙台駅に向かって歩いていく。

●内館さん

そう、整形はやめて帰るの。

●聞き手

そこでヒロインに「仙台はとても美しい」と言わせていただき、大変ありがたいなぁと思って読みました。

●内館さん

そういえば、今青葉通りの方から大橋の近くで地下鉄東西線の工事をしていますが、地下鉄は広瀬川をどうやって通るのかしら?

●聞き手

西公園から、大橋の上流に架けられた橋を渡って国際センターのところに出ます。

●内館さん

それじゃぁ、東京でいうと地下鉄が四ッ谷のとこから地上に出てくるんだけれど、ああいう風に広瀬川を横断するの?

●聞き手

そうです。

●内館さん

それ市民が賛成したわけ?

●聞き手

そうですね、賛成も反対もありましたが、広瀬川橋梁設計は公募で決まりましたので。

●内館さん

広瀬川に地下鉄がどう架かるのか、私にはよく思い浮かばないけど、例えば夜の遅い時間なんかにね、真っ暗な広瀬川があって、その向こうを明かりの点いた電車がね、コトコト、コトコトとね、銀河鉄道みたいに走っていく。そんな状態ならばね、それはそれで一つの風景になるんだろうとは思うけれども、おそらくそうはならないじゃないかと思う。

●聞き手

どうなんでしょうね。

●内館さん

そういういじり方をすると、仙台が寂れることもありうる。「地霊(じれい)」という言葉があって、土地の御霊という意味ですが、それはオカルトではなく、その土地の「核」という意味ですよね。核を壊すようなことをすると、そこの地域が寂れていくっていう話を昔、東京銀座商店会の方から聞いたことがあるの。銀座の場合、柳と運河が核だった。ところが、運河を埋め立て、柳の木を引っこ抜いたことで、銀座が銀座でなくなったと。つまり、銀座の地霊に対して間違ったことをやってしまったから、以来、銀座が寂れてきたと言われてました。そりゃそうよね。街のシンボルたる核を壊したんだから。そうすると、広瀬川は、仙台の御霊でしょう。市民生活のために手を加えることは当然あるけど、熟考しないと。ケヤキも広瀬川も仙台の核ですから。行政はそうしたものに対しては畏敬を持ち熟慮すべきです。責任持てるのかしら。ここカットされるんだろうけど、カットし過ぎるときれいごとになるから、あんまりカットしないでね(笑)
それから、私前に猛烈に怒ったことがあって、京都とパリが姉妹都市40周年にちなんで、鴨川にパリの芸術橋(ポンデザール)を模した橋を架ける計画があったでしょう。あの時私、日本は悲しい国だと思った。一千年の古都にパリの橋を架けようという意識がまず理解できないですよ。それを許す行政って何を考えてるんだろう。行政は街を愛していないとね、やることがどこ飛んでっちゃうか分からないのよ。その時に私はエッセイに書いたの。友好なんだから鴨川にポンデザールを架けてもいいと。その代わりセーヌ川には五条大橋を架けろと書いた。そんなこと、パリ市民が許すわけがない。ただ、日本だけに架橋するならそれは友好ではない、と書いたら、全国からそうだそうだという手紙が来ました。あの計画は白紙に戻って良かったなぁと思いますけど、仙台も市民がしっかり見ていないと、メチャクチャになりますよ。