『仙台の魅力について』

●聞き手

仙台は空襲にあったということもありますが、歴史的建造物など昔のものを残さないでどんどん壊してしまった。そうして古いものを残さないのが仙台流だ、と評する人もいます。

●内館さん

残さないのが仙台流だというのは、後でくっつけた言い訳ですよ。そんなことを、はいそうですかと思う人はいないわ。何といっても仙台が凄いと思うのは、やっぱり古い街の名前を残したことね。これだけ古い街の名前を残している地域っていうのは、金沢にもないし、盛岡だって復活させようとしていますが、復活するのはなかなか大変みたいですね。仙台の古い地図を見ると、そこに載っている地名が今も当たり前に使われている。これは本当に仙台の人達のすごさだと思います。全国どこでも中央一丁目とか、東一丁目とかの中、利便性だけの町名をよしとしなかった市民なんだから、残さないのが仙台流だっていうのは行政の言い訳じゃないの?

●聞き手

残すべきものと、変えていくものとはしっかり分けて考えるべきだということですよね。

●内館さん

そう。例えば、私はすごく土俵にこだわりを持っていて、もともと東北大に入学したのも、国技館の土俵に女の人を上げたくないからなんです。相撲とプロレスの区別が付かないような女性の首長がね、私の仕事だから土俵に上げろっていう。これでは文化が痩せる、首長が国技に対してこのレベルなんですよ。でも今後、そういうことを言う女性たちはもっと増えるだろうから、私は土俵に関して本気で研究しようと思った。ええ、彼女たちを撃退するためだけに、3年間も仕事を休んで仙台で暮らしたんです。土俵であれ街づくりであれ、保守すべきところと変革すべきところを厳然と分けて考えるべきなんです。ここだけは死守しないと本質が変わってしまうという核は、死活につながる。

●聞き手

そうですね。

●内館さん

仙台でいえば、例えば市役所の職員は名刺に「杜の都・仙台」って刷ったりしますよね。この「杜の都」って枕詞、他の地域では絶対に使えない。仙台よりもっと森や杜があっても「杜の都」は仙台の枕詞。全国的にも仙台のものとして浸透していますね。私は一時期、全都道府県のキャッチコピーを書き出して調べてみたことがありますが、調べた当時には「秋田花まる」、「神々のふるさと島根」、「ビタミンシャワー静岡」などがあり、面白いけど「杜の都・仙台」に比べたら浸透度は比較にならない。全国的な枕詞があるというだけで、仙台は凄く幸せなわけです。おのずと「核」「地霊」の大切さを示す枕詞ですよね。

●聞き手

そのへんの認識は、仙台に住む人にとっては、当たり前過ぎて気付かないというところもあるかもしれません。

●内館さん

そうね。でも、やっぱり腹が立つのは、仙台の良さとか、仙台の美しさとか、仙台の食べものの美味しさとか、そういったことに市民は無頓着で、気が付いていないんじゃないかというところ。でも私だって仙台で生まれ育っていれば、無頓着でしょうね。仙台は、すごく都会的なところと、普通に自然が残っているところがあって、そこにいろんな状況の人達が混沌となって暮らしている。ですから、街に活気が感じられます。無頓着なままに地霊に逆らって整備しちゃって、あとですごく大変なことにならないかという不安は、よそ者の私にはありますよ。一方で、整備していかないとこれからの暮らしが成り立たないところもあるでしょうから、そうした整備は必要だと思うんです。ただ、どこを壊して、どこを守るかっていう保守と変革の思いを市民一人ひとりが持つべきだと思う。それには、まず行政の長が明確な考えを持って、強く発信して進めていかないとね。街は寂れるし、潰れるし、個性が無くなるし、そのうちにミニ東京になります。東京は「魔の都市」だから、やっぱりミニじゃかなわないわ。女性市長に期待しています。

●聞き手

地域の強みを打ち出していかないと、これからは生き残れない。

●内館さん

絶対そうですよ。大阪などの関西圏の都市は生き生きしてますね。関西の方は東京でも大きな声で関西弁で話していますが、九州人も、東北人も東京で方言はあまり使わないでしょ。方言自体も無くなってきていますが。それでもやっぱり関西弁は別格というか、それは関西人の矜持がもたらしたものだと思う。それは本来どこの地域でも持つべきだと思うけど。

●聞き手

平成16年に仙台で開催された「新・学都市民フォーラム」で講演された際にも、仙台市民自身が仙台の良さを認識するとともに、京都を意識してまちづくりを考えていくべきだ、と提案されていましたね。

●内館さん

そう。私が監督を務めている東北大相撲部の学生にも、「こっちは伊達62万石、京都に負けるな」といったことがあるんだけど、部員たちは、「だって京都は帝だっちゃー」ってのんびり言うもんだから、つい笑いながら怒ったことがあってね。JRのキャッチフレーズの「そうだ、京都に行こう」は鮮烈。だからものすごくまねされるのといっしょで、「杜の都・仙台」も、本当は誰もが羨ましい価値なのよ。それなのにケヤキを平気で切ったり・・ほっとくと広瀬川も埋め立てかねない。

●聞き手

でも、平成21年の夏に、約20年振りに広瀬川に貸しボートが復活したというニュースもありました。

●内館さん

そんなこと自慢してどうするのよ。市民の人達みんなが広瀬川で芋煮会をやって、ボートに乗って、川をもっともっと自分たちの暮らしの中に入れようと思うなら、当たり前の復活でしょ。

●聞き手

芋煮会は、実際に体験されましたか。

●内館さん

大学院在学中に、何度も。広瀬川のほとりで。

●聞き手

それは牛越橋付近ですか。

●内館さん

そう、あそこで。最初は芋煮というので芋だけ食べるのかと思ったら、サンマを焼いたり何でもありで。仙台人になった気がしましたね。

●聞き手

広瀬川の秋の風物詩になっています。

●内館さん

仙台のコンビニでは、秋になると芋煮会用の薪が売り出されたり、芋煮会の煙であたりが真っ白くなってね。そんな広瀬川での芋煮会の話を東京ですると、仙台で学生時代を過ごした人達は、もう泣きそうなるくらいに懐かしがりますね。私がテレビ局で会った金髪の男の子でも、その話をすると「そうかぁ、芋煮会かぁ、広瀬川かぁ」って。仙台出身者にはみんなそういう思い出や、故郷の原風景というのがあって、それがふるさと納税につながったりするのかもね。

●聞き手

そうした都市のアイデンティティというのは大切にしなければいけないですね 。