『プロまでの道のり』

●聞き手

野球を始めたきっかけは、先に野球を始めていたお兄さんの影響ということですが、最初は気がすすまなかったそうですね。

●由規さん

こうしてプロ野球選手になるなんて、野球を始めた時には全く考えてもいなかったので、とても環境に恵まれたと実感しています。

●聞き手

リトルリーグ世界大会で準優勝するなど華々しい活躍をされましが、北仙台中学校では、陸上部に所属されていたそうですね。

●由規さん

シニアリーグでの硬式野球をやっていたので、中学校の軟式での部活動はできなかったんです。それで平日は走り込みをして、土日はクラブチームで野球ができるのがいいと思ったので、陸上部に入りました。

●聞き手

陸上部での種目は何でしたか。

●由規さん

100mの短距離です。理由は一番距離が短いから(笑)。タイムは聞かないでください、ただの参加賞だけで、入賞したこともないですので(笑)。でも、高校に入ってから変わったんですよ。球も速くなりましたが、足も速くなったんです。

●聞き手

中学時代の走り込みの成果が高校時代に現れたのでは。

●由規さん

ないとは言い切れないですね。それよりも、身体の使い方を自分で考えるようになってきたからだと思います。中学の時はただがむしゃらに手を大きく振っているんだけど、前に進まないみたいな感じでしたから。

●聞き手

身体の使い方を意識するきっかけになった理由はあったのでしょうか。

●由規さん

高校入ってから、速い球を投げるためにいろいろ自分で試しているうちに、投げ込みが多くなって、それにつれて球が速くなっていく感じだったので、走ることもただ走るだけではなく、10本走るうち、一本一本走り方を変えてみたりしていたら、スムースに身体が動くようになってきたんです。

●聞き手

由規さんは、もともとは左利きなのに、右投げとなったのは、お下がりのお兄さんのグローブが右利き用だったからということですが、より早い球を投げるために、左手で投げようとは思わなかったのですか。

●由規さん

ピッチャーとしては、左投げの方が有利だとは思いますが、それは考えたことはなかったです。今でも普通の人よりは、左手でも遠くへ投げられますけど。

●聞き手

そういえば、ピッチャーの主人公が利き腕の右肩を壊した後、左投げに転向してプロで活躍するというストーリーの野球マンガもありましたが、由規さんだったらどうですか。

●由規さん

今から左投げはもう無理だと思いますね。実際、左利きの右投げだから、バランスが取れて、球の速さにつながった部分があると思います。

●聞き手

単純に利き腕だから良いということでもないんですね。高校3年生の夏の甲子園で、155kmを記録して最速右腕投手と呼ばれましたが、スピードが上がってきたきっかけというのは何だったのでしょうか。

●由規さん

実は高校に入った当初は、ピッチャーはあきらめていて、内野手でプレーしていたんです。それで、打つのも好きだったので、代打で試合に出ることも多かったんですが、ある時たまたま、公式戦で先発させてもらう機会があって、その時に投げたら自分でもびっくりするくらいに球が速くなっていたんです。

●聞き手

それまでは、ピッチッング練習はほとんどしていなかったんですか。

●由規さん

野手の練習メニューが中心でしたが、たまに登板する機会もあるかと思って、ピッチング練習はしていたんですよ。育英高校では、練習メニューが、ひとつのポジションで固定というのはなかったんです。

●聞き手

練習メニューを自分で選べたんですか。

●由規さん

そうです。内野手の練習の他に、もちろんバッティングもやらなければならなくて、その上でピッチング練習も、ということで正直大変だったんですが、昔から投げることに関しては大好きだったので、練習では本当によく投げていました。その後本格的にピッチング練習をするようになってからは、毎日投げていないと感覚が狂うのですが、あんまり投げすぎてもいけないので、1日だけ20~30球で止める日を作ったりはしていましたが。でも、試合前日でも結構投げていましたが、前日投げすぎたといっても、試合本番に投げられないんじゃないかという心配はなかったですね。今まで、肘や肩を痛めたことがないんですよ。それが自分の強みでもあります。

●聞き手

宮城県の野球ファンは、あの2006年の第88回全国高校野球大会の宮城県大会決勝戦はとても印象に残っていると思います。延長15回を一人で投げきった翌日の再試合の時も、まだまだいけるという状況だったんですか。

●由規さん

あの時は、さすがにまともにボールを握っている感覚はなかったですね。でも、もうここまで来て投げないのは嫌だったので、当時はまだ2年生でしたが、これでだめになって野球を辞めることになってもいいという気持ちでした。その時は自信があったんですね。それでも負ける気がしなかった。

●聞き手

どうしてそう思えたのでしょうか。

●由規さん

先輩達を信頼していたんです。だから延長15回まで投げられたし、次の試合も絶対何とかしてくれるだろうと思っていました。今でもあの2日間のことは鮮明に覚えていますね。野球って、こんなに面白いんだって、あの時初めて思ったんですよ。

●聞き手

チームメイトを信頼して、自分でも持てる力を出し切った試合で、野球がこれまでで一番面白く感じたといのはすてきな話ですね。

●由規さん

今まで練習でやってきたことがいろいろよみがえってきましたね。それで、不思議なことに、再試合の時のコンディションはボロボロで、実際、前日の試合より球は走っていなかったんですが、その時は打たれたいい当たりでも、何故か守っている野手の正面にボールが来るんですよ。

●聞き手

そういう時には野球の神様が降りてきているんでしょうね。

●由規さん

再試合では、スクイズで先制したんです。僕の前の打者がスクイズしたんですが、その時僕はネクストバッターズサークルにいて、目の前のファールラインの真上に、そのスクイズしたボールが乗っかって…相手は切れると思って見ているんですが、切れそうで切れないんですね。それを見ていて、ああこれで勝ったと確信したんです。運が来ているなって強く感じました。

●聞き手

そして甲子園で活躍して、ヤクルトスワローズに入団されることになりましたが、県内の野球ファンは由規さんには、楽天に入団して欲しかったと願っていたと思いますが、こうして今スワローズのユニフォームを着るようになってみていかがですか。

●由規さん

スワローズの本拠地が東京ということもあって、結果的に僕は良かったと思います。

●聞き手

それは一度は東京に住んでみたいという憧れがあったのでしょうか。

●由規さん

多少はありましたね。基本的にはミーハーなので(笑)。でも住むなら仙台の方が良いと思っていますが。