第3回 川が身近にあった高校時代
●聞き手
自然体でまったりとした独特のトークが草野さんの魅力の1つですが、宮崎弁の影響もあるのでしょうか。
●草野さん
自分ではどこの言葉が出ているのか分かりませんね。仙台の言葉は入っていないと思います。
ちなみに僕は、思いっきり標準語のつもりです(笑)。
●聞き手
宮崎県のご出身ということですが、野球を始めたきっかけは何でしたか?
●草野さん
小学校入学した時点でスポーツ少年団の野球を見て楽しそうだなと思ったのがキッカケです。入団できる3年生になってすぐ、お父さんに「野球をやりたい」と言って野球を始めました
●聞き手
野球に熱心なお父さんだったのですか?
●草野さん
昔ソフトボールをやっていたこともあって、スポ少の監督でした。だいぶスパルタで厳しかったですね。
中学でも野球部でした。
●聞き手
ご出身の高校ですが、宮崎県大会では後にチームメイトとなる福盛和男投手を擁する都城(みやこのじょう)高校を決勝で破り、甲子園に出場されました。
当時のことをお互い話題にすることはありますか?
●草野さん
ありますよ。プロ入りした時から彼とは公私共に仲が良かったですし、勿論、高校の時もお互いライバルとしてやっていましたので。素晴らしいピッチャーでした。
●聞き手
ご出身の高校が北川(きたがわ)という川の畔にあったとうかがっています。
●草野さん
レフトのすぐ後に北川が流れていまして、台風が来るとよくゲージごと全部流されていました。それを部員が田んぼの向こうから引っ張って持ってくるとった具合です。
川が氾濫したあとの田んぼに魚がたくさん打ち上げられていて、それを練習帰りに捕まえたりしていましたね。
●聞き手
仙台の広瀬川もかつては増水で橋が流されたり、家屋が浸水したりと、大変な暴れ川でした。
広瀬川の河川敷には野球練習場を備えた公園がいつくかあります。特に下流域であれば周囲が拓けていて、見渡しも良いですよね。
●草野さん
そうですね。ただ、僕たちの頃は、練習中は水を飲んではいけないと言われていましたからね。3年生は飲めるんですが、1・2年生は飲めない。
だから、ファールボールやホームランのボールを率先して取りに行って、ついでに川の水を飲んだりしていましたよ(笑)。
●聞き手
ワイルドですね。
●草野さん
今なら熱中症対策は当然必要ですが、僕らの時代ではありえないことでしたからね。