vol.17 広瀬川研究レポート

晴/雨釣倶楽部 佐藤信善さん

山形と宮城県境となる緑豊かな山懐より仙台市内を西から東へと流れる広瀬川。 100万の人口規模を持つ政令指定都市を流れる川ながら、「名水百選」(環境庁1985年)や「残したい日本の音風景100選」(環境庁1996年)、そして「21世紀に残したい日本の自然100選」(朝日新聞社・森林文化協会1983年)にも選ばれ、緑豊かな仙台のシンボルともなっている。

例年、7月の鮎釣り解禁を迎えた頃、市街地より見える流れには多くの鮎が躍り、流れに佇む鮎釣りの姿は初夏の風景として広く市民に定着している。

そんな馴染み深い平地・清流の魚である鮎に対して、山地・渓流の魚というイメージが強い山女魚(ヤマメ)が、人の行き交う仙台市街地内の広瀬川に多く生息していることをご存知だろうか?

広瀬川の全流程45.2kmの中ほどに位置する太白区長町から青葉区愛子へ至る中・下流域。 仙台駅からクルマでわずか30分圏内となる市街地の流れの多くは、永年に渡る環境整備に支えられ水中には豊かな河川生物相が形成されており、実は・・・広瀬川における山女魚釣りの隠れた核心域になっているのだ。

■広瀬川を旅する山女魚

川で生まれ、成長するため遠く北の海へと旅に出て、ふたたび産卵のために川へと回遊するサケ科・桜鱒(サクラマス)。その河川残留型となる山女魚(ヤマメ)は一生を川旅だけで終える。

桜鱒(サクラマス)
山女魚(ヤマメ)

夏の暑さも癒える秋。9月の末頃から10月一杯にかけて、広瀬川上流域への遡上を遂げた桜鱒(サクラマス)と山女魚のペアリングから産み落とされた卵は、その冬無事に孵化すると、幼魚斑(パーマーク)を纏った稚魚は周辺の流れの中でさらに12ヶ月程を過ごし成長する。

翌春、未だ桜前線が仙台に届かない頃、体内ホルモンの作用により銀化(ギンケ)となって10センチ前後に育った幼魚は山からの雪解水に乗りながら広瀬川を下り始め、途中、ある幼魚は生まれ育った居心地の良い広瀬川内に留まり幼魚斑を残す山女魚として生きることを選択し、またある幼魚は桜鱒として閖上河口より海流に乗り、遠くオホーツク海の先にあるロシア・カムチャツカ半島周辺の海域を目指し旅立ってゆく。

稚魚が生まれて3度目の春、仙台に桜前線が届いた頃、広瀬川に留まった山女魚は25~30センチへと成長し、一方、北の旅から河口まで戻った桜鱒は40~60センチ程にまで大型化して、それぞれがこの秋の産卵活動のため、雪解けに増水した広瀬川をさらに上流域へと向かって遡上・移動を始める。

古より広瀬川を舞台に繰り返しそれぞれの旅を続けてきた桜鱒と山女魚。
とりわけ、人の暮らしへ寄り添うように、身近な広瀬川を上流から下流へそして再び上流へと一生を川旅して生きる山女魚という魚には、気高く美しい姿やその釣りと共に、より仙台市民から認知され親しまれるべき存在ではないか?と感じている。