vol.10 広瀬川に注ぐ街中の清水

東北文化学園大学 環境計画工学科講師 八十川淳さん

「仙台三清水」は鹿の子清水、柳清水、山上清水、これに古くは清水小路も含まれました。これらは不思議と全て広瀬川に沿って点在しています。このうち今でも姿を残すものは山上清水のみです。これら以外にも広瀬川に流れ込む湧水は無数に存在したと考えられますが、小規模なものほどつらい運命をたどったことは想像に難くありません。湧水絶滅の原因は緑地や裸地が減少し人工被覆面が増えたこと、都市排水路整備が小規模水脈を絶ったことが考えられます。しかし晴れた日でも広瀬川が豊かな水面を湛えているのは、無数の湧水の存在があってこそのことです。

近年、都市の地下水や湧水など小規模水源の有用性が見直されつつありますが、現実にはこうした市街地の貴重な水源は、現在も市民生活から関わりを失いつつ傾向にあります。今回は山上清水と付近に残る微細な水源の様子をご紹介します。

■山上清水とは

私の研究室で「山上清水」付近に点在する湧水の所在や水量、水質、その利用について調べ始めたのは2003年からです。山上清水のある現八幡五丁目はかつて「山上清水町」といい昔の茶屋町で、山形に通ずる関山街道の出発点、旧市街の山形方面の玄関口でした。「山上清水」の名称は現在でも町内会名称に残っています。

なお「山上……」とする名称の由来は、藩政期以前は山形への往来は広瀬川沿いにあり、広瀬川からすれば現八幡五丁目は「山の上」だったということにあります。また付近は城下唯一の用水本流(四谷用水:広瀬川より取水、現在は暗渠化され工業用水路に転用)が市街に差し掛かる場所です。つまり旧市街に最も近い水源地の一つで、古くから水との関連が深い場所柄です。地形は南に広瀬川、北に放山-弘法山の崖が迫る段丘則面です。付近には地すべり危険地帯もあり、マンション開発など市街化が進む一方で現在でも手付かずの緑や自然も残しています。

■湧水の分布と概要

調査採水地点は地図のとおりです。A~Hの8地点は湧水で、I、K地点はD、E、F地点などを水源とする側溝が広瀬川に合流する吐水口です。J地点は比較対照としての広瀬川です。

地図;山上清水とその他湧水などの採水地点(湧水はA~Hは湧水、IとKは側溝の吐口)

A(弘法山清水)…生活利用の歴史は比較的古く、上水道の敷設以前は付近住宅地の給水源とされた湧水です。水源は道路下に埋設され地上から確認できませんが、やや離れた溜りに豊富な水量で噴出しています。付近住民のみならず遠方からの利用者もあり、私もその一人です。流末はB、C地点を合流して広瀬川に注ぎます。

A地点「弘法山清水」 (遠くからの利用者もあります)

C(箱清水)…H地点とともに当地区で最も有名な湧水です。近年、崩れかかった擁壁(ようへき)の石垣が修復され、名前のとおりの方形堀には石像もあります。しかし湧水量の減少が著しいところです。

C地点「箱清水」(古くからの湧水ですが、水量が大幅減少)

D(国道48号崖中腹の湧水)…冬は融雪散水に使用されます。普段は下流側の民家にて雑用水利用されている模様で、溜りが数ヶ所点在します。水源は四谷用水本流(現在の工業用水)とされてきましたが、一連の調査を経て、これも湧水であることが確認されました。

H(山上清水)…町名の由来となる最も有名な湧水。石垣擁壁と3m四方程度の木造上屋を備えた大きな溜りがあり、現在ではコンクリート蓋に覆われています。擁壁に直径90㎝程度の杉大木の切株があり、その根方付近から湧いています。現在でも見かけ以上に大量の湧水が溜り石積みの隙間から側溝に滲み出ています。飲料不適とする行政からの看板もあり一般利用はされませんが、近隣住民は屋内外の雑用水や飲料にも使用している模様です。

H地点「山上清水」(代表的な湧水で、湧水量も多い)

上記のほか湧水E、Gは付近住民が屋外での雑用水あるいは家庭菜園の散水に使用している様子です。湧水B、Fは水量が少なく現在は利用されません。