第3回 仙台の奥座敷 作並温泉を訪ねて

次に向かったのが、平賀こけし店から程近い岩松旅館。寛政八年(1796年)、仙台藩主・伊達斉村公より開湯の許可を得てから8年の歳月を費やして整備したのが始まりといわれる、作並温泉で最も古い歴史を持つ旅館です。

【鷹泉閣 岩松旅館】

仙台の奥座敷として、古くから多くの人たちに愛され続けてきました。鎌倉時代、奥州征伐に来た源頼朝が、傷付いた鷹が温泉で傷を癒す様子を見つけたという伝説があり、「鷹の湯」や「鷹泉閣」という名もあります。

【鷹泉閣 岩松旅館】

この岩松旅館の名物が「天然岩風呂」。八十八段の階段を下りて行く広瀬川沿いの岩風呂には、泉質の異なる4つの浴槽があって、四季折々の風景を楽しみながら温泉を楽しむことができます。

【天然岩風呂の様子】

【天然岩風呂の様子】

「広瀬川のせせらぎは癒やしになります。魚が泳いでいる様子も見えるんですよ」

こう岩風呂の魅力を語るのが、岩松旅館の堀内秀一さん。湯は30年程もかかって湧き上がってくるそうで、しっとりとしているのが特徴なのだとか。体が温まっても湯冷めしにくくカサカサしないため、「美人の湯」や「美肌の湯」と呼ばれているそうです。
岩松旅館には、数々の文化人が宿泊しました。俳人・正岡子規もその一人で、旅館で詠んだこんな一句があるそうです。

「夏山を廊下づたひの温泉(いでゆ)かな」

ここには、広瀬川の様子が描写されていないようにみえます。しかし、正岡子規は「書き手が見たものをありのままに書けば良いというものではなく、取捨選択が非常に重要になってくる」と考えていて、この句では広瀬川のせせらぎを捨てて廊下を取り上げることで、八十八段の廊下(階段)から広がる広瀬川の眺めや、降りた先のいで湯の癒しを強く印象付けたものと考えられています。凡人にはとても真似できない発想ですね。

【ロビーに飾られた正岡子規の句。挿絵は画家・古山拓さん】

岩松旅館には正岡子規の他、荒城の月の作詞で有名な土井晩翠や、築館出身の詩人・白鳥省吾、大正~明治時代の落語家・喜劇俳優の柳家金語楼らが訪れていたそうです。