第2回 南染師町の今昔

戦前までは20数軒の染物屋があったという南染師町。町民の8割が染物に関連する人々で、町は活気に満ちていたということです。

南染師町が染物の町となった由縁が七郷堀の存在。染物を水でさらしたり、藍染の布を川で洗ったりしたために青い水が流れ、人々は七郷堀とは言わず「藍染川」と呼んでいたとか。


「第24回若林区民ふるさとまつり」糊落としの実演

水量が多く水もきれいで魚も泳いでいましたが、年を経るごとに堀の水が汚れ、それが染物に付いて苦労するように。化学染料が台頭してきたこともあり、昭和60年(1985年)頃からは水元の作業はそれぞれの染工場で行うようになりました。

今回、取材でお邪魔したのは、南染師町に3軒ある染工場の一つ「永勘染工場」です。

永勘染工場は明治20年(1887年)、染物職人だった永野勘兵衛さんが独立して、元荒町(現在の青葉区一番町二丁目)で創業。仙台空襲により仙台市中心部が焼失して営業が出来なくなり、現在の場所へと移転してきました。

古くから付き合いのある常連客を大切にしながら、一方ではインターネットによる注文販売を強化。北海道から沖縄まで全国各地に取引先を拡大中です。
また、熟練の技を後世に伝えるべく、若手の職人の育成にも力を入れています。