仙台市科学館 事業係 菊池正昭さん
■はじめに
仙台は化石の街として全国的に有名です。百万人都市でありながらも、緑豊かな自然に囲まれながら化石を採集できる都市は他にはないと言ってよいでしょう。そうした環境をなしている要因は、過去何千万年もの長い年月をかけて生き物達が豊かに生きていた海と陸の時代を繰り返しながら地層を作ってきた堆積作用と、それらの地層がひそむ大地を浸食し削ることで化石を露わにさせてきた川の働きにあります。せっかく化石が含まれていた地層があっても、何かによって削られて地層の新鮮な断面が目につかなければ、その化石は人の知れるところとなりません。地層がみられる崖を露頭といいます。
近年は宅地開発や道路工事などによって人工的に大地が削られて露頭が出現することもありますが、一般的に天然の露頭は、川や沢を流れる水がその流路沿いの大地を削ることによって出現したものです。仙台では、西方の奥羽山脈から東方の太平洋に向かって七北田川水系、広瀬川水系、名取川水系の河川が流れています。これらに属する川の流れによる浸食作用によって露頭ができ、化石が発見されやすくなるのです。そういった意味で、化石の発見は川の流れによる産物の一つと言えます。広瀬川も「化石の街 仙台」の重要なコーディネーターの一員と言えるわけです。
■広瀬川流域の地質
地層が堆積したまま水平であるとすれば、標高が高いところに分布する地層ほど形成年代は新しくなります。しかし、仙台周辺の地層は全体的に東向きに傾斜していて、奥羽山脈のある西方にあらわれている地層の方が古く、広瀬川水系の流路に沿って東に向かうほど地層の年代は新しくなります。広瀬川の支流にあたるのですが、源流に近い奥新川の少し上流にある四の沢というところの沢沿いでは、約1億年前(中生代白亜紀)の花こう閃緑岩がみられます。仙台市内最古の岩石で,仙台の大地を支える土台となっている岩石です。その下流側になる奥新川から作並の周辺にかけては、約2000~1600万年前(新生代新第三紀中新世前期)のグリーンタフ(海底に堆積した火山灰による緑色の凝灰岩)の地層や約1600~1100万年前(中新世中期)の凝灰岩の地層が分布しています。これらの地層は火山灰がもとになっており、この中には化石はみられません。化石が含まれる地層が分布するのは、険しい奥羽山脈を抜け出てからで、白沢周辺の中流域から東側の地域になります。
白沢周辺には、約1000~500万年前(中新世後期)の湖底堆積物でできた地層が広い範囲で分布しています。さらに、下流に行くと、愛子付近から郷六を抜けて仙台市街地に入り、仙台城址南側にある竜ノ口渓谷にかけては約500万年前(新第三紀鮮新世前期)の寒冷な海で堆積した竜の口層がみられます。また、仙台城址付近の流域から愛宕橋付近にかけては約400~300万年前(鮮新世後期)の陸上低湿地などで堆積した向山層の地層がみられます。これらの白沢層、竜の口層、向山層はそれぞれの堆積時代の環境をしめす化石を含んでいて、仙台の大地の過去を知る上でとても興味深い地層です。
広瀬川の下流側に向かって傾く地層(白沢付近)
■古仙台湖の化石~白沢層~
今から約1000~500万年前の時代、それまで海底であった東北地方は現在の奥羽山脈を中心に隆起して陸地となり、火山活動も活発になりました。このとき噴出した火山灰などが堆積してできた凝灰岩の地層が秋保石として有名な湯元層です。この火山灰が噴出したために地中が空洞になり、地表が陥没してできたへこみに水がたまって古仙台湖とよばれる湖ができました。白沢を中心に、北は七北田、南は秋保まで広がっていたと考えられています。この湖に周辺から流れ込んだ泥や砂が堆積してできた地層が白沢層とよばれる湖成層です。白沢層の代表的年代は約700万年前で、植物化石を多く含み、淡水にすむケイ藻(植物プランクトン)の化石やまれに昆虫の化石が見つかります。しかしながら、広瀬川沿いの白沢付近では残念ながら植物化石はほとんど見つかりません。古仙台湖の中でも中央付近に位置していたために岸辺から遠く植物の葉などが流れ着くことがあまりなかったからだと考えられています。白沢層の植物化石がよく見つかるところとしては、茂庭台団地西方にある中身山林道や根白石の七北田川沿いが有名です。クルミ属、ハンノキ属、カバノキ属、ブナ属、ケヤキ属、カエデ属などの冷温帯性落葉樹の葉や種子の化石がみられ、この湖のまわりの山腹はこれらの森林に覆われる温和な気候だったのでしょう。