■毛鉤釣りとは

古くから欧州では人の暮らしに身近な河川へと回遊する鮭・鱒を対象として、その主な餌となっている水生昆虫を模した毛鉤釣りが試されていた。

近代産業革命以降、釣り鉤などの製造技術の進展を見る英国において、世界各地に経営する植民地からもたらされる羽毛・絹糸などの天然素材を基に膨大な種類の毛鉤が工夫され、新たに生まれた毛鉤による釣法は大きな発展を続ける。

その後、工業製品として英国より届けられる毛鉤釣りの道具に他の欧州諸国そして北米において次第に愛好の輪は拡がり、20世紀半ば以降、釣具の進化とともに大きな釣具市場となっていたアメリカにおいてAFTMAという新たな釣具の製造規格が採用され、手頃で優良な釣具供給が始まると、この釣具規格を基に楽しむための新たなルールも生まれ、さらに毛鉤釣りの対象魚が各地に開拓されて「スポーツ・フィッシング」としての毛鉤釣りは世界中に普及することとなった。

こうして現在、穏やかなスポーツと呼ばれる「フライフィッシング」を老若男女問わず楽しむ風景は世界各地の水辺で見られるようになった。

一方、日本においても岩魚・山女魚を対象魚とした「てんから釣り」など伝統的な和式毛鉤を使用する釣法が一部地域では古くから伝わっており、1950年代以降、先のフライフィッシングが新らたな釣法として国内の釣り人にもたらされると、従来のてんから釣りとフライフィッシングそれぞれの優美点が次第に融合し、今日では日本古来の魚「岩魚」「山女魚」に向けたより楽しめる毛鉤釣りの道具や手法が醸成されている。

余談ではあるが、以前、英国王室御用達を務める老舗釣具メーカー Hardy Brothers (Alnwick) Ltd. は、当時の社長が来仙した折に広瀬川の山女魚釣りに大変興味を覚え、後に同社は「Sendai AT38°N LAT」と記念銘の入った毛鉤竿を英国工房において限定数製造し、自然豊かな仙台とその街中を流れる広瀬川での山女魚釣りを高く評価したことがあった。

■広瀬川の山女魚釣り

薫風そよぐ5月の夕暮れ。
初夏の陽は奥羽の山並みに隠れ、美しい群青にすべてが染まり始めた広瀬川畔の静謐な風景。

瀬音を響かせ早瀬が大きく蛇行する先の中洲には葦原が茂り、少し下流の深瀬から淵へと長く続く白泡が延びた辺りに、毛鉤竿を持つ釣り師は佇んでいる。

目前をカワセミが鮮やかな青を残像にして飛び過ぎ、すぐ足元では陸上羽化するカワゲラを探すセグロセキレイが飛び石の上を足早にかっ歩する。 頭上には素早く川面へと羽化して来るヒラタカゲロウを捉えようと数多くのツバメが鋭い旋回で飛翔する。

間近に見える高層ビル群に明かりが点り、暗緑色の川面へその明かりは映り、ゆるやかに明滅する。大型の山女魚が好んで捕食するオオマダラカゲロウの集中羽化まで、あと僅かな時刻。

夕霧が垂れ込める川面の筋に起きる山女魚の起こす浮上波紋を、毛鉤釣り師は闇に沈み始めた流れに目を凝らし、ひたすら待ち続ける・・・。
大山女魚が闇に紛れ、秘やかに浮上するまで。

市街地を流れる広瀬川には、早春2月頃のユスリカと極小型のカワゲラに始り、初冬11月頃のシマトビケラまで夏眠期を除いて切れ目の無い幾多の羽化が続く。
このような豊かで膨大な数の水生昆虫の活動は、水辺に暮らす多くの野鳥、そして流れに棲む多くの種類の水生生物と魚を育てている。

なかでも、羽化する水生昆虫を主な餌として川旅を続け大型に育った山女魚は、幾多の危地を乗り越えた気難しさがあり、たいへん賢い生き物だ。

狙いとした水生昆虫の膨大な量の羽化が続く流れに、自ら工夫を凝らして巻いた毛鉤を自然により本物の水生昆虫らしく、山女魚が望むような羽化の状態に投げ入れて流し、賢い大山女魚に手製の毛鉤を咥えさせたいが・・・たいがいは何処かが多いか足りないかして、残念な結果に終わる。
しかし、そんな情熱と努力が実る時も僅かに在って・・・だからこそ、さらなる成功を夢見て、新たな毛鉤を工夫しては戦術を見直し、山女魚を追い続ける私は足繁く広瀬川へ向かうこととなる。

自宅裏の広瀬川なら歩いて3分。
仕事から早めに帰宅し、さっそく玄関で毛鉤竿を継いで新たな毛鉤を先糸へ結び、夕暮れ時の河原へ駆け付ける。
そんな、身近な広瀬川でシーズン中は悩める山女魚釣りの毎日。雨が降っても風が強くとも。

市街地の広瀬川に棲む山女魚の存在を通し、流れがもたらす豊かさ、そこに生きる多くの命の貴重さを見知らぬ誰かに伝えられたなら、これまで続けてきた毛鉤による山女魚釣りにも意味があると感じている。

いつか広瀬川辺で・・・みなさんの楽しい山女魚釣りを。

※広瀬川での山女魚釣りは 3月1日 ~ 9月30日 まで
(一部、禁漁区と禁漁期が設定されています)
なお、広瀬名取川漁業協同組合が発行する遊漁証の購入と携行が必要(中学生以下は無料)です。

■あとがきに代えて

広瀬川研究レポートの原稿を書き終え、直後の3月11日は仙台市内で迎えておりました。 この度の地震と津波により被災された皆様には、心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。

災害復旧作業が各地に続く中、今回の研究レポートを「広瀬川ホームページ」上へ掲載いただく ことは、東北全体での被災状況を思った時に大きなためらいがあり、また一方で、広瀬川辺にふた たび釣り人が見られるようになれば・・・川辺から復興に向けたアピールが出来るのではとも、勝手 ながら感じておりました。

振り返れば、これまで向き合い続けて来た全ての山女魚からは 『心折れず、自らが生きることに一心であること』 そんな覚悟と生き様を学んだように思います。

被災された皆様すべての復興を心より願い、研究レポートのあとがきとさせて頂きます。

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