vol.15 豊かな自然環境が育んだウイスキーづくりの理想郷

ニッカウヰスキー株式会社仙台工場 工場長 中川圭一さん

ニッカウヰスキー仙台工場宮城峡蒸溜所は作並温泉に近い、広瀬川と新川の合流地点ほど近くに建っています。この地はウイスキー製造に適した「約束の地」だったのですが、この地での操業に至った過程をご説明したいと思います。

■ウイスキーづくりの理想郷

ニッカウヰスキーの前身「大日本果汁㈱」は1934(昭和9)年、創業者竹鶴政孝によって北海道の余市で創業しました。余市蒸溜所はスコットランドへのウイスキー留学だけでなく、その後の日本国内でのウイスキーづくりの経験も踏まえて創業した政孝の理想を実現した蒸溜所だったのです。

政孝は蒸溜所の建設にあたって、その立地や周辺環境を大変厳しく吟味していました。政孝がスコットランドのウイスキーづくり実習の成果をまとめた実習報告書、いわゆる「竹鶴ノート」にはウイスキー蒸溜所の立地条件として、

  • 良質な水が豊富にあるところ
  • 原料大麦が集めやすいところ
  • 石炭又は薪などの燃料が入手しやすいところ
  • 輸送のための鉄道の便が良いところ

などがあげられています。そして

  • ピートが取れる
  • 樽材(ミズナラ)が豊富

と述べられており、政孝にとっての「ウイスキーづくりの理想郷」こそが余市であったのです。それらの理由に加えて余市を選んだ特筆すべきポイントと言えば「適度に湿潤なうえに冷涼で澄んだ空気とその気候風土」であったと言えるでしょう。

■第二の蒸溜所建設

そして第二のモルト蒸溜所「宮城峡」は、創業から35年後の1969(昭和44)年、当時の宮城県宮城郡宮城町ニッカ1番地(現在は仙台市青葉区ニッカ1番地)に建設されました。当時国内で複数のモルト蒸溜所を所有していたウイスキーメーカーはニッカウヰスキーだけでした。

ニッカウヰスキー仙台工場宮城峡蒸溜所

宮城峡蒸溜所に求められたのは、余市よりマイルドで軽やかなモルトウイスキーをつくることでしたので、選定の基本条件としては、年間平均気温が10℃前後(余市は8℃前後)であること、海岸にある余市とは異なる内陸地とされました。 さらにウイスキー作りには、「水質の良い水が豊富にあること」、「湿潤な風土であること」、「清浄な空気と緑豊かな環境」が必須条件です。

靄の立つ湿潤な風土

これらの条件の上に政孝は、その候補地がどんな最適場所にあっても「日本人の主食である米を作る「水田」を潰してまで工場は建ててはならない」と命じました。

これだけの条件がありましたので、候補地選定は困難を極めましたが、ある日の夕方、作並温泉手前の広瀬川沿いのこの土地が偶然目に入ったのです。その地には熊笹が深く茂っていましたが、茂みの向こうには豊かな水量をたたえた清流があり、周囲は深い緑の広葉樹の森、そして清浄な空気が周辺に満ち溢れていました。清流が広瀬川と合流する三角地帯のその土地は常に湿潤で、朝夕には靄の立ち込めるような場所でした。捜し求めていた「ウイスキーづくりの理想の土地」の条件をほぼ満たした場所だったのです

そこで政孝を呼び、川の岸辺に案内したところ、政孝は持っていた「ブラックニッカ」のポケットと川の水で水割りをつくって一口飲むと、「実にすばらしい水だ。ここに決めた。」と言い出しました。こうして第二のモルト蒸溜所建設地宮城峡が決定したのです。現在、その経緯を示すプレートが蒸溜所脇の新川のほとりに立てられています。

新川川のほとりに立つプレート