人との関わり(ひととのかかわり)

●古くから伝わる水文化(ふるくからつたわるみずぶんか)

広瀬川ひろせがわ江戸時代えどじだいより、上流じょうりゅうから木材もくざいはこ木流きながしなど、仙台城下せんだいじょうか水運すいうんとして活用かつようされてきました。また、広瀬川ひろせがわ名取川なとりがわ河口部かこうぶ北上川きたかみがわ鳴瀬川なるせがわ阿武隈川あぶくまがわをつなぐ貞山運河ていざんうんがや、広瀬川ひろせがわ名取川なとりがわむす木流堀きながしぼり現在げんざいのこっており、当時とうじ歴史れきし一面いちめんることができます。 また、広瀬川ひろせがわ関連かんれんして、以下いかしめすような年中行事ねんちゅうぎょうじやしきたりがおこなわれていました。厄払やくばらいや供養くよう意味いみめた行事ぎょうじおおくなっています。

□午頭天皇水かけ祭(ごずてんのうみずかけまつり) 旧6月15日

広瀬川ひろせがわ江戸時代えどじだいより、上流じょうりゅうから木材もくざいはこ木流きながしなど、仙台城下せんだいじょうか水運すいうんとして活用かつようされてきました。また、広瀬川ひろせがわ名取川なとりがわ河口部かこうぶ北上川きたかみがわ鳴瀬川なるせがわ阿武隈川あぶくまがわをつなぐ貞山運河ていざんうんがや、広瀬川ひろせがわ名取川なとりがわむす木流堀きながしぼり現在げんざいのこっており、当時とうじ歴史れきし一面いちめんることができます。 また、広瀬川ひろせがわ関連かんれんして、以下いかしめすような年中行事ねんちゅうぎょうじやしきたりがおこなわれていました。厄払やくばらいや供養くよう意味いみめた行事ぎょうじおおくなっています。

□河童神祭礼(かっぱがみさいれい) 旧6月15日

元南町もとみなみまちどおりと柳町やまぎまちなか ほど、南町みなみまち東側ひがしがわ 磯奈神社いそなじんじゃがありました。祭日さいじつには祭壇さいだんまえ奉納ほうのうされた青々あおあおしたきゅうりがやまかさなり、子供こどものあるいえ水難除すいなんよけのおまもりをけるために、いえのおかあさんなど女性じょせいのおまいりでにぎわいました。

□夏越しの祓(なつごしのはらい) 6月30日

現在げんざい桜ヶ丘さくらがおか神明宮しんめいぐうおこなわれています。おまいりをするひと家族かぞく性別せいべつ 年齢ねんれいいてひとかたちったかみおさめ、神社じんじゃでおはらいをしてもらったあと広瀬川ひろせがわながします。

□七夕流し(たなばたながし) 8月16日朝

七夕たなばたかざりのたけ物干ものほ竿ざおのこし、ささとかざりをくくって広瀬川ひろせがわながしました。この七度しちどごちそうべて七度しちどみずびろというたとえがあり、ささながしてからみずびました。 また、ねんに1このかぎってものをあらえばよごれはかならちるといって、おんな広瀬川ひろせがわかみあらい、おとこ習字しゅうじ あががるといってすずりふでかわあらいました。

□精霊送り(しょうりょうおくり) 8月16日朝

仏様ほとけさまあさかえるとかんがえられていることから、あさ団子だんごとなすのあぶらえりを、ひる小豆あずきとキノコのおはぎをそなえます。またお盆中ぼんちゅう三日間みっかかんそなえたものをつつみ、なすにはし四本よんほんさしてうま見立みたてて背負せおわせ広瀬川ひろせがわながしました。ぼんまつりりもすんで何事なにごともナスということだといいます。

□灯ろう流し(とうろうながし)

桃源院とうげんいん行事ぎょうじ有名ゆうめいです。天明てんめい天保てんぽうりょう大飢饉だいききん死者ししゃ供養くようとしておこなわれたものです。

□人形流し(にんぎょうながし)

むかし三月さんがつ節句せっくかざつつみ土雛つちびなくびちたりこわれたりすると、ただてずに広瀬川ひろせがわっていってながしました。おんな手遊てあそびの人形 にんぎょうこわれるとかわながしました。おはらいの意味いみおこなわれました。

□川前の鹿踊り(かわまえのししおどり)

芋沢いもざわつたわる獅子舞ししまい一種いっしゅで、1973ねんけん民俗文化財みんぞくぶんかざい指定していされています。あたま鹿しかめんをかぶり、腹太鼓はらだいこをつけた一人立ひとりだちのおど数人すうにんによっておどられます。川前かわまえ鹿踊ししおどりは剣舞けんばいついにしてえんじられます。かつていね害虫 がいちゅう大発生だいはっせいし、不作ふさくになりかけたときに十頭じゅっとう鹿しかあらわ害虫がいちゅう退治たいじ豊作ほうさくみちびいたのがはじまりといわれています。
●現代の市民生活と広瀬川(げんだいのしみんせいかつとひろせがわ)

現代げんだい仙台市民せんだいしみん広瀬川ひろせがわかかわりとしては、あき風物詩ふうぶつしとなった芋煮会いもにかい毎年まいとしなつ河畔かはんおこなわれる仙台七夕せんだいたなばた花火祭はなびまつり広瀬川ひろせがわとうろうなが大会たいかいなどの年中行事ねんちゅうぎょうじがあげられます。 また、宮沢緑地みやざわりょくちでのボートあそびの復活ふっかつや、数多かずおおくのボランティア団体だんたいなどがいろいろなイベントを実施じっししており、広瀬川ひろせがわ舞台ぶたいとしたあたらしいあそびの文化ぶんかまれてきています。

芋煮会いもにかいのようす(牛越橋上流うしごえばしじょうりゅう
広瀬川ひろせがわとうろうながし(宮沢橋上流みやざわばしじょうりゅう
広瀬川ひろせがわあそぼう(宮沢緑地みやざわりょくち
●伝承・昔話(でんしょう・むかしばなし)
広瀬川ひろせがわには、広瀬川ひろせがわにまつわる伝承でんしょう昔話むかしばなし数多かずおおのこっています。下記かき以外いがいにもいろいろあるので、調しらべてみてください。

□賢淵(かしこぶち)

賢淵かしこぶちあるおとこ川岸かわぎしいわこしろしてつりりをしていると一匹いっぴきのクモがあらわれて右足みぎあしくちからしたいとをくっつけてきました。指先ゆびさきはら ってかたわらのやなぎ大木たいぼく根元ねもとになすりつけると、またもやクモがてきていとをくつつけてきました。それをはらってはやなぎへなすりつける。これを何度なんどとなくかえしていると、やがてすさまじいおととともにやなぎ大木たいぼくこそぎふちなかまれていきました。おとこがあっけにとられていると、すさまじいみずしぶきのなかから「かしこい、かしこい」とこえがしたそうです。(あぶないところだった。ちょっとおそかったら、このおれがふちまれてしまったんだ…。)若者わかもののふるえは、しばらくまらなかったそうです。

□鶏橋(にわとりばし)

むかし金色きんいろかがやうつくしいにわとりはし欄干らんかんにとまって、高々たかだかいてはどこかへっていきました。まちひとたちは、それをなにわるまえぶれではないかとうわさしました。ちょうどそのころ八幡神社はちまんじんじゃ見事みごとにわとり 絵馬えま奉納ほうのうされていて、ある不吉ふきつ前兆ぜんちょうにした町人ちょうにん八幡神社はちまんじんじゃにおまいりにいくと、その絵馬えまから一羽いちわにわとりして、はしほうんでいくのをました。そのひとは、にわとりはこれだったのかと、金網かなあみってきてにわとり絵馬えまってしまったところ、そのよるからにわとりあらわれなくなりました。 しかし、その数日後すうじつごから大雨おおあめつづき、やがて大洪水だいこうずいとなり、まちあららしました。人々ひとびとはそれではじめて、にわとり八幡様はちまんさま化身けしんで、洪水こうずいらせようとしていたのだとり、警告けいこく無視むししたことを反省はんせいし、さわはしにわとり名前なまえをつけていましめにしました。

□藤助淵(とうすけぶち)

牛越淵うしごえぶちつづきのふかみを藤助淵とうすけぶちといいます。むかしこのちかくに藤助とうすけというおとこりをしていると、水底みずぞこからおおウナギがあらわれました。藤助とうすけおおウナギから明日あすばん賢淵かしこぶちのクモがめてくるからけっしてこえさずにそこにっていてくれ。こえてるとけてしまうとたのまれました。約束やくそくばんにいくとすさまじい水音みずおとてて合戦かっせんはじまり、藤助とうすけおもわず「あっ」とこえをだしてしまいました。それっきりふちしずかになり、つぎあさけたおおウナギのくびいていて、それを一目見 ひとめみ藤助とうすけくるにしてしまったといいます。

歴史・文化の資料(れきし・ぶんかのしりょう)
悠久ゆうきゅうながれ・広瀬川ひろせがわ創生そうせいプラン策定基礎調査さくていきそちょうさ平成へいせい14ねん3がつ仙台市せんだいし

広瀬川ひろせがわハンドブック さあ、清流せいりゅうこう/平成へいせい12ねん3がつ仙台都市総合研究機構せんだいとしそうごうけんきゅうきこう

清流せいりゅうもりみやこ名取川なとりがわ広瀬川ひろせがわ平成元年へいせいがんねん3がつ建設省東北地方建設局けんせつしょうとうほくちほうけんせつきょく