広瀬川の歴史

広瀬川流域の水循環

かつての市内の水循環

現在の水循環のほかに、かつては市内を縦横無尽に走る四ツ谷用水による水循環が存在していた。江戸時代、利水の不便な仙台城下町の用水を確保するため、広瀬川に堰を設けそこから導水したのが始まりで、最盛期の総延長は約44kmと広瀬川の本流に匹敵する長さを有していた。

 市内に網の目のように張り巡らされた用水により、地下水は安定し、それが湧水となって再度、用水に流入するという水循環を持ち、土壌のろ過作用で用水の清浄度は高く、また蒸発散により夏の暑さも緩和していたと思われる。用水は、地下水涵養による飲料水の供給や消防用水、家庭用雑排水、産業用水、水車の稼動、冬季の雪捨て場など様々な役割を果たしていた。
 明治時代に始まる下水道整備に伴って暗渠化が進み、戦後にはほとんどの用水が閉鎖され、現在は、四ツ谷堰から梅田川までの本流が工業用水として、一部が雨水排水管としてわずかに残っているのみである。