フリーライター/西大立目祥子
春の堀さらい
■最後の堰守、大黒五郎さんの作業
もうすぐ、七郷堀に水が入る。堀の上をひんぱんに通ることもあって、毎年、その水かさが微妙に変化していくのを眺めながら、遠く六郷や七郷の田んぼを思い浮かべる。4月中旬、代掻きを前に通水が始まると、田植えに向かって水かさはどんどん増していく。梅雨の期間はいったん減り、梅雨が明けると、出穂までは稲の成長と助けるようにぐんぐん増える。夏の間、水はとうとうと東へ流れ、9月、まだ暑さが残る中、水は突然落ちる。稲刈りに備え、田んぼを乾かす必要があるからだ。
そんなふうに水の向こうに田んぼの風景を思い描くようになったのは、『ふるさと七郷』という地域雑誌の制作のために、地元の年配の方たちから七郷堀の話を聞く機会を得て以来のことである。もう四半世紀も前のことで、大正生まれの方たちに、機械化前の農作業のことなどをいろいろ教えてもらった。今回のメイン写真の七郷堀の浚渫の話も、ずいぶん聞かされた。
南材橋
毎年3月頃、いよいよ田んぼが始まるという季節になると、七郷の人たちは、堀の取水口である愛宕堰や上流の地区に出かけ、堀にたまった泥やゴミをさらう作業をした。写真は昭和42年(1967)に撮影された、その浚渫作業のようすだ。堀さらいは、七郷の農家にとっても、南染師町の人々にとっても、農作業の始まりを教える季節の風物詩といえるものだったろう。
ふるさと七郷』の取材の際は、当時の七郷土地改良区事務長、渡邊喜宣さんのご案内で、通水を始める時期に愛宕堰に角材を入れて水を堰き止める「角落とし」という作業に同行した。また、江戸時代から代々、堰守を務めてきたという大黒五郎さんが、電気制御盤を操作し取水量の微妙な調整をするようすも拝見できた。
田んぼが始まると、土地改良区は大黒さんに毎日のように電話をかけ、水門の開き具合の調整を依頼する。その効果は約1時間半から2時間ほどで、荒井付近にあらわれる、と聞いた。最後の堰守だった大黒さんは80代後半ぐらいだったろうか。
仙台東部に水田が開かれてから、休むことなく繰り返されてきたに違いない堀さらい、そして水量調整。いったい、車も電話もなかった時代、遠く離れた愛宕堰と七郷との連絡はどうやって行っていたのだろうか。たずねなかったことが、いまだに悔やまれる。
愛宕堰