■いまなお変わらない家族連れの姿

橋の上から見下ろす竜の口渓谷

足がすくむほどの高さ。底を水が流れる。地層を観察し、化石を採ることができる貴重な空間。

いま竜ノ口渓谷はどんなようすだろう。八木山橋の上から見下ろした。欄干からのぞき見るのも恐いほどの深さである。歩く人はめったにいない。その渓谷美に驚嘆しながら四季折々の眺めを楽しむ人など、もうないかもしれない。だが、車はひっきりなしで、吊り橋の時代とは、橋の利用の仕方がすっかり変わったことを知らされた。渓谷はただ通過されるだけとなったのだ。

ある年代以上の人なら、竜ノ口渓谷で化石採りをした経験をお持ちだろう。八木さんも「すばらしい化石が採れましたよ。葉っぱのや赤貝のや…橋の下、八木山側からいいのが出ましたね。追廻の奥から渓谷に入って歩いていったものです」と少年時代をなつかしむ。

青葉山に60メートルの深さで切り込む渓谷は500万年前には海底で、自然観察の場所として使われてきた。学校の授業で渓谷を歩いた経験を持つ人は少なくないだろう。だが、崩落の危険があることから、いまは自己責任で興味のある人が入るのみとなっている。

では、桜はどうなったのだろう。そう思い動物公園に入るがそれらしき樹木は見当たらない。管理事務所で「平成6年のアフリカ園のころまでは園内にもありましたが、地下鉄工事で伐られたようですね」とうかがった。植樹を記念する大きな石碑も、駐車場の奥に移されていた。こんなふうに、人の思いや歴史は風化していくのかもしれない。「ベニーランドが動物園を経営していると思っている方もいらっしゃいますよ」と飼育係の阿部さんは苦笑いする。

桜植樹の記念碑

昭和12年、園内に1000株の桜を植えたことを記念する大きな石碑。このほか芸妓置屋組合の植樹を記念する碑もある。八木家に賛同し、木を植えた市民の思いが伝わる。

3月末の日曜日、園内や道路には小さな子を連れた家族連れが目立つ。その姿を見ていたら、前述の郷土史家、武山豊治の一文が浮かんできた。武山氏は、八木山の距離的利便性を上げながらこう記す。「八木山は家族公園と称せられている。…春秋の散策期には夫婦子供の五六人が一団となり、兄弟姉妹互に仲よく手をつなぎ妻は子供をおんぶし、夫は汗をふきふき弁当を擔(かつ)ぎ上げて上っていく姿を誰しも見るであろう」。家族連れが親しむ八木山。子どもの数こそ減ったが、80年前八木山に繰り広げられた光景は、いまなお途絶えていない。

後日、竜ノ口渓谷に入り込みたくなって追廻を訪ねた。あいにく工事中で入る事は難しかったが、八木山や青葉山の沢水を集め渓谷から流れ出す水は「竜ノ口橋」と名付けられた小さな橋の下をくぐり広瀬川に注いでいた。都心部にこの深い峡谷があることを、そして市民のためにここに橋を架けようとした人がいたことを、私たちはあらためて思い起こしてもいいかもしれない。

竜の口沢と広瀬川の合流点

沢から流れ出た沢水は追廻の奥で広瀬川に合流する。こうした絶え間ない水の流れが川に息吹を与え続ける。

参考資料
「八木山物語」 石澤友隆著 河北新報社
「仙台市の郷土地誌的概観」武山豊治著 仙台郷土研究会