■川の流れに親しめる建物を

公会堂に思い出を持つ人は少なくない。「ヴァイオリンのハイフェッツを聴いた覚えがありますよ」と話すのは、青葉区在住のマンドリン演奏家、高橋五郎さんだ。「音楽をやる者にとっては、世界的音楽家と同じステージに立てるというのがステイタスでした」。実際、公会堂にはベルリンフィル、ボストンフィルを始め、世界的な名演奏家が訪れた。

市内で劇団を主宰する熊谷盛さんは、劇団民芸の「どん底」をみた思い出がある。多いときには、公演を待つ人の行列がロビーから中庭へ続き、大橋近くまでになったという。それだけの人が広瀬川の畔で、芝居に熱い期待を寄せたのだ。

「いい建物でしたね」と井場さんに投げかけると、「そういう意味ではよかったけれど、日比谷公会堂ぐらいしかなかった時代のホール、機能的にはそう寿命は長くはなかったんでしょう」と答えが返ってきた。確かに、公会堂は昭和20年代、30年代は、盛んに利用されるが、わずか築後二十数年で解体され、昭和48年に高層の都市機構(旧都市公団)の賃貸住宅を併設した現在の市民会館にその役割をゆずっている。

公会堂跡に建てられた仙台市民会館併設の賃貸住宅。定禅寺通りからの視野をさえぎる。

それでもなお、広瀬川の眺望を、文化活動の背景としてとらえた建物は魅力的に思える。いま、川岸には背の高いビルが並ぶのが当たり前になってきた。低い家並みが続く下町段丘のおだやかな風景が保たれるのも、時間の問題かもしれない。高さを低く押さえ、川との関係を取り戻せるような建物が仙台に建つことはもうないのだろうか。めまぐるしく変化してきた都市景観、私たちの自然への意識の移り変わりを水に映して、広瀬川は、今日も変わらない姿で流れている。

仲ノ瀬橋の上から川を見下ろす。川岸には高層ビルが建ち並ぶ。