vol.10 生きることを支えてくれるのは、子ども時代の川の体験

フリーライター/西大立目祥子

広瀬川で水遊びする子どもたち

昭和40年代。遠くに千代大橋と八本松小学校の校舎が見える。網ですくったり、振りかざしたり、夢中になっているのがわかる。(撮影/菊地重夫)

夏が終わった。

夏の間、胸が痛んだのは子どもたちの水の事故である。今年は梅雨が長かったからだろうか、ようやく訪れた真夏の日差しの下、水辺に吸い寄せられる子どもたちの気持ちがわかるような気がした。

この「河水千年の夢」にある「写真館」というコーナーには、子どもたちが川辺で実にいい表情を見せている数枚の写真がある。時代は昭和20年代から50年代まで。このまちの子たちはどんなふうに広瀬川とつきあってきたのだろう。今回は、写真を送ってくださった方々にお会いしてお話をうかがうことにした。

■川とかかわり続ける原点は、子ども時代の川遊び

すねまで水につかる4人の子どもたち。よく見れば手にしているのは捕虫網のようだ。虫捕りがいつのまにか魚捕りになったのだろうか。撮影者は太白区在住の菊地重夫さん。ご存知の方も多いだろう、「きょうの広瀬川」というご自身のウェブサイトを持ち、毎日歩いてとらえた川の写真を掲載していらっしゃる方である。高校時代、写真部だったときに撮影したのだという。

堤防に寝そべる子ども

遊びに疲れたら、こんな格好。川でくつろぐ気持ちがこちらにも伝わってくる。(撮影/菊地重夫)

「子どもの頃は若林区の南材木町小学校だったので、宮沢橋の下の河川敷によく遊びに行きました。昆虫採集をしたり、川岸の水たまりでオタマジャクシを捕まえたり。ボートにもよく乗りましたね。泳ぐことはなかったけれど、ボートに乗れば水面が近い。いろんなものが見えてくるんです」

楽しかった経験は輝いて胸の内にあったのだろう、高校生になって自分のカメラを持ったとき、撮影テーマに掲げたのが広瀬川だった。春はボート遊びをする学生たち、夏は半ズボン姿で堤防に寝そべる子どもたち、冬は綿入れを着込みスケートに興じる少年たち…。共感をもって撮った昭和40年代の広瀬川の風景は、いまでは貴重な資料となっている。

「広瀬川がいつも身近にあったんですね。困ったときは、いつのまにか足が川に向いていたし、子育て中は子どもをよく連れていきました」。

そして、6年前、脱サラして映像企画の仕事を始めたのと同時に、「きょうの広瀬川」を立ち上げ、1年365日、毎日、川を歩いて撮った写真をつぎつぎと更新する生活が始まった。花や鳥が美しい姿を見せる日があれば、魚が大量死している日もある。それは広瀬川の現在のありのままの姿を私たちに伝えてくれる。

雨の日も風の日も、菊地さんは川の畔を歩く。「川には1日として同じ日はありません。毎日見ているとね、いろんな生きものが自分に写真を撮らせてくれてる、と思えてくるんですよ」と菊地さんは苦労ではなく撮り続ける楽しさを語る。

その姿は、幼い頃に川とかわした約束を果たしているようにも見えた。