vol.7 昭和30年代、暮らしの舞台は橋と川だった

フリーライター/西大立目祥子

片平丁から見た評定河原橋(撮影/小野幹)

川の浅瀬に小さな木の橋が架かる。右手には東北大学のグラウンドが白く雪をかぶる。遠くの山並みは木がまばらだ。

■下町段丘に流れるのびやかな空気

大きく蛇行する川に降り積もった雪。右手に白く広がるグラウンドのような土地……写真を見て、すぐに評定河原だとわかった。左手には経ヶ峯の崖も見え、浅瀬に細々と粗末な木の橋が架けられている。小野幹さんは撮影年はわからないというが、評定河原に鉄筋コンクリートの橋が架けられたのは昭和32年のことだから、撮影はそれ以前、おそらく昭和20年代後半から30年代初めの頃と思われる。

それにしても開けた視界だ。果たしていま、こんなふうにポーンと向こうまで川が見通せる場所があるのかどうか。さっそくこの撮影地点を探してみることにした。

広瀬川を左手に感じながら片平丁を歩くと、びっしりと家が通りに詰まり、わずかに家並みの切れる駐車場の柵のすき間から川が望めるだけ。けれども、片平丁小学校前にきたときには、川を見下ろす見事な眺めに、わぁっと声を上げそうになった。

現在の評定河原橋

川には州が形成されて樹木が茂り、評定河原橋は見違えるほどの橋梁となった。片平丁からの眺望には、相変わらず胸を打つものがある。

日を受けてきらきらと輝く川面の向こうに堂々とした評定河原橋が姿を見せ、遠くには晩秋の色づいた山が連なっている。眼下のイチョウの間からはテニスコートのボールの打ち合いの音が心地よく響いてくる。ここに、崖下の堤防に通じる急な階段があるのをご存知だろうか。ときおり、上ってくる人、下りて行く人の姿があって、風景におもしろい動きをつける。もう何度も眺め、そのたびに見とれる絶景なのだけれど、やっぱりいい。この眺めは仙台の財産だなぁと感じながら、しばしたたずんだ。

広瀬川の河岸段丘につくられた仙台は、まちの中に段丘面を持っている。川に近い低い方から下町段丘、中町段丘、上町段丘とよばれていて、米ヶ袋、霊屋下、花壇は下町段丘上にあり、その上の片平丁など中町段丘との境は、崖や坂道や階段でつながっている。川を見下ろせるのも、大木の茂る崖が立つのも、段丘の高低差があるからだ。

下町段丘へと坂道を下るとき、私はいつも上とは違った異空間に入っていく感じを抱いてきた。喧騒がしだいに遠ざかり、どこかのびやかでゆったりした空気が流れ始める。それは、下町段丘が水辺や緑といった自然を保っているからだろう。仙台の都市空間の中で他の都市にはないいちばんの魅力を放っているのは、広瀬川の蛇行とそして川沿いに連なるこの下町段丘ではないかと、私は思っている。

片平丁から評定河原へ

近道はこの階段。下町段丘と中町段丘をつなぐ。たたずんでいると思いのほか行き来する人が多かった。