フリーライター/西大立目祥子
鳴合温泉での河童祭り風景 (撮影/小野幹氏)
川に入る男たちも見守る人たちも、みんな楽しそうである。炉ばたが発行していた「炉盞」の昭和37年1月1日号には「常連の河童たちが大挙して広瀬川畔の鳴合温泉に集って盛大な河童祭りをいたします」という記事がある。撮影時期は、昭和30年代後半から40年代はじめにかけてのようだ。
神事に臨む天江富弥(撮影/小野幹氏)
中央の裃姿が天江富弥。まわりの河童たちは、炉ばたの常連客たちなのだろう。
■幟を掲げ鳴合温泉の川原に集う
暑い夏だった。海水浴場もプールも連日大にぎわいで、川にも涼を求めて水遊びする人の姿があった。
さて、今回。写真家の小野幹さんが出してくださったのは、ふんどし姿で川に入る大人たちの写真である。後ろの河原では、大ぜいの人がその様子を見守っている。子どもも混じり、よく見ると笑顔が多いのが見てとれる。そして、「河童大明神」の幟(のぼり)。祭りの風景なのだろうか。
「これね、天江さんがやってた“河童祭り”。愛子に鳴合温泉(なるあいおんせん)と呼んでた一軒宿があって、その近くの河原でやったんだね。ただ、撮ったのがいつだったか……」。小野さんが用意してくれたもう一枚には、その天江さんが裃姿でお面をかぶった河童たちを従え、神妙な顔で神事に臨むようすが写されている。
天江さんとは天江富弥(1899年~1984年)のことである。いま仙台市民にこの名を問うたとき、どのぐらいの人が知っていると答えるだろうか。
八幡町の造り酒屋「天賞」の三男に生まれた天江は、大正時代に日本初の児童専門誌「おてんとさん」を創刊、児童文化活動で、その名を知られるようになった。一方で、こけしなど郷土玩具の美しさをいち早く見抜き、その普及と蒐集に力を注いでいる。戦後は、酒亭「炉ばた」を開店し東北の味を提供、天江の人柄に魅了された人々が全国から訪れた。まわりには、いつも“おんちゃん”と親しむ人々がおり、天江はそうした人々との交流の中に自分の願いを実現したといっていいかもしれない。話しかけるときは決まって仙台弁。生涯を貫いていたのは郷土への思いだった。
その天江が広瀬川でお祭りをやっていたというのだ。当時を知る人に会ってみたい。小野さんにたずねると「一番手前に映っているのが、ポコちゃん。河童亭という飲み屋のご主人の神永さんだよ」と糸口をくださった。またしても“河童”である。これは面白い話が聞けるかもしれない。