話は変わるが、広瀬川の清流を守る条例の基本理念には次のように書かれている。

「広瀬川の『清流』とは、そのシンボルであるアユや、カジカガエルの生息する清浄で豊かな流水、および、それと一体をなす自然がけや、丘陵、中州とそこに見られる植生や数多くの野生動物をも含む流域の自然的環境を包括したものである。また、この『清流』を構成する諸要素は、相互に密接に関連する一つの体系を形成し、微妙な生態的均衡を保っている。」

広瀬川の清流を、流域の自然的環境を包括した概念でとらえた素晴らしい理念であるが、このことについてはもう少し説明したいことがある。条例に基づき、広瀬川流域では環境保全区域と水質保全区域が指定されている。環境保全区域では建築物の規模の抑制、既存樹木の伐採制限、緑化の推進などが行われるが、例えば屋根や壁の色のルールも定められている。許可基準は「周辺の土地の自然的環境と著しく不調和にならず、緑に調和するよう明るさや鮮やかさを抑えた暖色系の色」として、屋根と外壁個別に色相、明度、彩度が定められている。今でこそ景観の重要性に異論を唱える人はいないが、条例は30年以上前、1974年9月に公布されている。当時は「景観を条例で規制できるか?」というレベルから検討が行われたようである。その背景には、「こんなことってあるのかな、こんな状態でいいのかな」と、八幡町の広瀬川左岸堤防付近に林立するホテルが広瀬川の優れた景観を台無しにするのを見てつぶやいた市長の見識と、それを受けて画期的な条例をまとめあげた市職員、市民の情熱と努力がある。

一方、水質保全区域では、水質基準の基本を「アユ」がすめることとし、排水基準の現行論理である排出者論理から受容者論理に変える、という基本的な考え方に基づいた画期的な規制が行われた。仙台市は市街地の中にあまり大きな工場はなく、工場排水による汚染は免れたものの、都市化が著しく生活排水汚染により広瀬川の「アユ」は臭くて食べられない状況に陥っていた。しかし、当時でも広瀬川の愛宕橋付近ではBOD3mg/L(B類型)の環境基準に対して2.1mg/Lと良好であり、法律的にはそれ以上の規制が困難な状況にあった。そこで、BOD(生物化学的酸素要求量)とは異なるTOC(全有機炭素:Total Organic Carbon)を規制するという案が出され、条例に盛り込まれた。その経緯は東北学院大学名誉教授である長谷川信夫先生がご退職記念の講演で詳しく述べられているが、TOCを導入してより良好な水質をめざすという手法は、当時の法体系に照らすと論理的にはかなり無理があったように思える。ある意味、法律を超える規制である。また、水質だけでなく排出水量も規制されたが、これも国の総量規制に先駆けたものである。BODやCODの環境基準と排水基準には大きな差があり、これは公共用水域において排水が十分に希釈されることを前提としている。すなわち、排水のBODが10であっても広瀬川に放流されて10倍希釈されれば1となる、というような論理で排水の濃度規制が行われている。しかし、広瀬川は利水が多く、区域により水量に著しく差が出てくる。したがって、広瀬川の状態に照らして、排水の影響が大きいところに多量の排水を出す場合には濃度をより厳しく規制するという考え方は理に適っている。

このように広瀬川の清流を守る条例には、広瀬川を愛し、様々な工夫、苦心をされた先人達の智恵があふれている。その結果、30年後の広瀬川も清流を保っているのである。さて、これから先、例えば2050年の広瀬川はどうなっているだろうか?私は生きていれば90才、自分の時間スケールで考えられる限界である。その時の広瀬川は清流を保っていられるであろうか?「河水千年」の伊達政宗公のスケールには及ばないものの、条例の精神をしっかりと受け継いで、次世代の清流を守っていきたいと願っている。