フリーライター/西大立目祥子
■仙台市天文台で夢を実現した少年
平成19年11月25日、仙台市天文台が52年の歴史の幕を閉じた。
「天文台ラストイベント」と題された最後の3日間の講演会やコンサートには、天文ファンにとどまらない多くの市民が詰めかけ、小さな会場は熱気にあふれた。昭和30(1955)年、西公園にオープンして以来、市民に広く深く親しまれてきた施設の幸せなフィナーレだった。
天文台の開台間もない頃の姿をとらえた写真を、仙台市戦災復興記念館の収蔵資料の中に見つけた。澱橋から仲の瀬橋へ広瀬川が大きく蛇行するあたり、河原から少しせり上がった河岸段丘上に、くっきりと白い姿を見せているのが、開台5、6年目の天文台だ。まだ殺風景な西公園園内を見ていくと、北の端には公会堂がひときわ大きな姿をみせ、その前にはこけし塔らしきシルエットが写り、仲の瀬橋のたもとには市民プールと思われる施設もある。施設の整い方からみて、撮影は昭和30年代の中頃と思われる。
この頃の天文台の姿を、いまもありありと思い浮かべる一人の天文学者がいる。東北大学大学院理学研究科教授の土佐誠さんである。
あこがれの仙台市天文台
土佐さんは、昭和33(1958)年、中学2年の夏休みに、東京から単身で仙台市天文台にやってきた。その数ヶ月前、都内で開かれた天文学会の会場で、仙台市天文台の2代台長となる小坂由須人さん(故人)と出会う。「仙台にきたら望遠鏡を好きなだけ使って星を見ていいよ」。そう小坂さんに誘われ、天文少年の心に火がついた。当時、国産最大級の口径41センチ反射望遠鏡を備えた仙台市天文台は、全国の天文ファンのあこがれだったのである。
その日のことはまだ覚えている。「朝、仙台駅に着いて、ほこりっぽい青葉通を歩いて行くと、大町交番の手前から天文台が見えたんです。桜はまだ若木でしたからね。建物はモダンで不思議な雰囲気があって、UFOがいるとしたら、これがそれかという感じでしたねえ(笑)」。
土佐さんは天文台に寝泊まりし、大勢の人との交流の中でひと月を仙台で過ごし、星の観察にとどまらない経験を得て帰京する。そして、天文学への夢を育み、5年後の昭和38年に東北大学理学部に進学、銀河物理学を専攻した。
それから、40年余り。この春東北大学を定年退官する土佐さんは、7月に開台する新仙台市天文台の台長に就任の予定だ。
14才の夏に広瀬川ほとりの公園で始まった天文少年の物語は、ひとつの施設とそこに集まる人が育むものの豊かさを教えてくれる。52年の間には、たくさんの天文少年・少女たちがこの天文台を巣立ったことだろう。
天文台最後の日の講演は、土佐さんのユーモアたっぷりの話とそんな昔の少年、少女たちの笑い声でしめくくられた。
閉台前の天文台