■少しずつ流れを変える広瀬川

夕方になると各家の風呂場の煙突から立ち上る煙、そして独特の甘酸っぱい匂い…。昭和三十年代の記憶のある人なら、亜炭と聞いたとき、真っ先に夕方の風景を思い出すのではないだろうか。学校のダルマストーブにくべたのも、亜炭だった。

亜炭は、生い茂っていた樹木が地殻変動で地中に沈み、水におおわれたり地圧や地熱が加わったりしてできたもので、数百万年前の地層に眠っている。

仙台で亜炭が採掘されるようになったのは幕末らしい。青葉山の警備をしていた武士が最初に発見して器をつくった。これが発端となって、仙台を代表する工芸品、埋木細工が生まれ、その原料として採掘されるようになったのである。埋木は亜炭の生成過程のものだ。その後に、採掘した中に混じる亜炭を燃料として用いるようになったのだろう。

資料によると、昭和6年の仙台市付近で稼働中の亜炭坑の数は25、坑夫数は126名。昭和3年の仙台市街地図を見ると、向山から青葉山にかけての山の斜面にはツルハシをクロスさせた坑口のマークが数カ所記され、現在の太白区向山一丁目から八木山香澄町付近には「長倉山(亜炭山)」という記載もある。

ちょうど写真の右手奥、竜ノ口渓谷から流れ出す沢を渡った崖の上には、ひときわ大きなツルハシマークがあった。天守台の崖の下を通り追廻の奥へと入り込む道は、亜炭ロードだったのかもしれない。

坑道跡を見ることはできないだろうか。そう思い近づいてみることにした。追廻のテニスコートを通り過ぎようとしたところで、小川でにぎやかに遊ぶ子どもたちに出会った。こんなところに広瀬川に注ぐ小川があるのだ。捕っているものを見せてもたくさん捕れたよらったら、マシジミやカワゲラ、マキガイまでいる。最近になって整備された水辺なのだろうが、水があれば生きものが棲息し子どもたちが集まるのがよくわかる。思いがけない発見だった。

網を持って魚捕り

ひざ下ほどの水量の小川に子どもたちの声が響く。「おにいちゃんがテニスするのについてきた」という。

たくさん捕れたよ

「シジミが大量発生だよ」と女の子が収穫物をみせてくれた。

竜ノ口峡谷の沢には小さな橋がかかっている。七、八年前、一度訪れたときには一軒家が残っていたが、もう跡形もない。草が生い茂り、坑道跡を確かめるどころか、木におおわれた斜面を見ることすらできなかった。

草をかき分け、経ヶ峯の崖を眺められる川岸まで近づいてみた。すると、川の流れは写真よりずっと深く岸を浸食し、山際まで入り込んでいる。水の流れも、いつのまにか中洲ができ二筋になっていた。

変わらないのは経ヶ峯だけかもしれないと思い、崖を望んだ。南側から望んでも、その存在感に中洲の発生変わりはなかった。

中洲の発生

間近に見ると流れは変わっていた。中州には木も茂る。