■広瀬川に再びボートが浮かぶ日

親子で楽しんだボート

アベックのつぎに多かったのが親子連れだろう。父親に仕込まれて漕ぎ方を覚えたものだった。(写真提供/菊地重夫「今日の広瀬川」より)

日々変化する広瀬川のようすが記録されている菊地重夫さんのホームページ「きょうの広瀬川」には、川で遊ぶ市民の姿を写した昭和40年代初めの写真が掲載されている。ボート遊びする人々の姿もあって、小さい子を真ん中に乗せた若夫婦や向かい合った詰め襟姿の中学生たちが、水に揺られるひとときを楽しんでいる。どこかのんびりしていて、素朴で、明るさがあって、笑顔がこぼれて、そして背景の家並はまだ1階建てか2階建て。それは、いかにも“昭和の風景”に思える。

千葉さんの貸しボート屋の記事を探していて痛感したのは、それがまさにバブル経済最盛期であることだった。「仙台市内宅地価格高騰」の文字が踊り、高級車や団地分譲の広告が日々紙面を埋め尽くしていたあの頃、レジャーも大型化する中で、貸しボート屋は惜しむ声があったとはいえ、あまりに素朴で地味なものとして忘れらたといえるのではないだろうか。

笑顔で漕ぐ中学生

雑魚取りを卒業してボートを漕ぐようになるのがこの年頃だったのだろうか。(写真提供/菊地重夫「今日の広瀬川」より)

でも、もしいま広瀬川に貸しボート屋があったとしたら…。手近なものでお金をかけずに生活を豊かにする術を身につけた私たちは、季節季節に川に船を浮かべ、水の流れを楽しみ、生き物と対話し、川原を歩いて、一日を慈しむように過ごすかもしれない。

かつてボートを楽しんだ友人たちは「あったらいいね」「いまならやれるんじゃないか」という。「NPOが経営することは可能ですか」という私の質問に、県土木事務所の方は「公的機関が施設をつくり、管理をNPOにませるというやり方はできるでしょうね」と答えてくださった。でも、かつての川を知る高橋チメヨさんは「いまの水量じゃ、とても無理でしょう」と話される。

はたしてこれから先、再び広瀬川にボートが浮かぶ日はくるだろうか。