■一人、水辺に立ってみれば

河童祭りポスター

落合3丁目の町内を歩くと、掲示板に河童祭りの案内ポスターが張ってあった。手作りだ。

じりじりと日差しが照りつける8月のある日、河童祭りの舞台、落合3丁目を訪ねてみた。前を急ぎ足に行く男の子に追いついて河童祭りのことをたずねると、「このへんの子は大体行きます」との返事。団地の中の道に立つ掲示板には、終わったばかりの河童祭りの案内ポスターが張ってある。

川に近づいてみたが、5,6メートルほどの堤防が高く築かれ網のフェンスが立って、水辺とはだいぶ隔たっている。神永さんが「何年か前に洪水があってから、岸の木が切られて堤防になった。安全ではあるんですが」と残念そうな顔で話されていたのを思い出した。それでも、子どもたちは祭りに神輿をかつぎ、川にキュウリを投げ込むという。岸に近い広中さんというお宅では、1歳と4歳の子が祭りを楽しんだとうかがった。

いったい戦後、河童たちはなぜ姿を消したのか。市内の神社で河童祭りを行っているという話を私は聞いたことがない。子どもたちの生活が、川からすっかり遠ざかったとはいえるのだろうけれど。

落合3丁目の川原

暑い日でも、川を渡る風は涼しかった。誰もいない川原に一人立っていると、向こうの草むらの影には河童がいるのではないかと、ふとそんな気にもなる。

1ヶ所、階段があったので下りてみた。水辺に立った瞬間、上から眺めていたのとはまったく違った感覚に包まれた。涼やかな風。立ちこめる水と草の匂い。しんとした中に響く水の音。目の前の川に五感がゆさぶられるような感じだ。対岸には神永さんたちが思いを込めた河童明神が祀られている。誰もいない河原に立って、夏休みともなれば一日中川で遊んでいたに違いない戦前の子どもたちを思った。こんなところに毎日きていたら、河童の存在が信じられるようになるかもしれない。

河童の存在をたずねる人に、天江はこう答えていたようだ。「河童は居ます、見える人には見える筈です」と。来年の夏は、7月15日までキュウリを食べないで過ごし、戦後すっかり影をひそめた河童を思ってみようか。


参考文献
『おんちゃん追慕 炉便風土』 おてんとさんの会編 平成4年
『天江富弥 炉盞春秋』 おんちゃん友だち会編 昭和60年
『炉盞 縮刷版」(炉盞春秋付録1) 郷土酒亭炉ばた
「北炎 第11号」 菊池新編 昭和54年