フリーライター/西大立目祥子さん

晩夏の広瀬川上流を歩く

2003年10月1日

奥新川を見守り続ける人たち

梅雨明けの後も雨は上がらず、しとしととまるで秋雨のように降り続いたこの夏。朝晩に通る宮沢橋からの広瀬川も、水かさがぐんと増している。下流を眺めながら、上流はどうだろうと考えた。長雨は、上流にはもっと激しい変化をもたらしているかもしれない。
上流といえば、すぐ思い浮かぶのが青葉区新川の名取政一さんだ。名取さんはご家族でJR奥新川駅前の食堂を営み、政一さんご自身は会社勤めのかたわらハイキングコースの整備を続けている。

2年前、名取さんの仕事ぶりを拝見する機会があった。そのとき知ったのは、上流では大雨や台風が続けばたちまち大木がなぎ倒され、川の斜面はごっそりと流れ落ちてしまうということだった。せせらぎはときに獰猛な生き物になって、牙をむき出しにするのだ。怪物の去った跡を、名取さんは鉈(なた)と鍬(くわ)と鋸(のこぎり)を背負って歩き、黙々と修復する。荒れた風景は、人の手が加わると、落ち着きと秩序と温かさを取り戻す。新川の渓谷に整備されたハイキングコース全体が、私には名取さんの思いのこもった表現であり、作品に見えた。

晴れ間の出た8月のある日、奥新川へと車を走らせた。久しぶりの青空に晴れやかな気分になる。
奥新川駅前は、もう夏は過ぎたあとだった。キャンプ場にいたのはわずか一組、草花は不順な天候にくたびれ、ところどころ黄色くしおれたように倒れている。

奥新川、北沢では行く夏を惜しむように河原で遊ぶ人がいた。

名取さんはお留守だったが、息子さんが食堂を守っていた。雨のことをたずねたら「水がしみこんだところに雨が降ると、どっと水が出るんですね。でも、少し濁ってる位の方が植物プランクトンが増えて、魚が集まるらしいですよ」と静かな口ぶりだった。お客さんはビールを飲む初老の男性一人。のんびりとした空気が流れる。

久しぶりにハイキングコース奥新川ラインに入った。道には歩く人をはばむほどの大きな水たまりができている。雨の量は相当なものだったようだ。日陰に立つ木は、さわると幹が水を吸い込んでぶよぶよとし、沢の近くでは大木が足をすくわれたように倒れているものもあった。水を吸い込み限界に達した山は、重くなった樹木を支えきれなくなる。雨は渓谷の許容量を超えて降り続いたのだ。天候次第で渓谷の景観は生き物のように変化し、とどまることがない。

奥新川ラインには、大きな水たまりがいくつもでき 空と緑を映していた。

コースをすべて回れば2時間ほどかかるが、増水した川の足場は悪そうで途中で引き返した。清水滝橋、小滝橋、日塔橋など、名取さんお手製の吊り橋が架かるコースは、清流の美しさと岩場がつぎつぎと違った景観をつくり出しおすすめである。

もどる途中、杖の長い鎌を伸ばして木の実を採る男性がいた。声をかけたら「焼酎につけるとうまくってねぇ、この辺ではコグワっていうんですよ」という。さほど太くない幹を延ばして立つ木が、近くの木につるをからませ黄緑色の実をいくつもつけていた。「今年の川の水量はいつもの年の二倍はあるでしょ。今日位のにごりは"笹にごり"といってね、魚がよく釣れるんですよ」。笹の緑色ほどのにごりを、そう表現するらしい。早坂さんという地元の方だった。帰って、いただいた実を図鑑で調べると「サルナシ」とあった。

奥新川の南沢に架かる名取さん手づくりの吊り橋を渡る。

沢が支える本流のいのち

中原浄水場の外観  新川川は広瀬川の支流である。かんじんの広瀬川の上流も歩きたかった。地図で見ると、愛子付近には何カ所か川に細い道がかぶさるところがある。橋の上から広瀬川を眺めてもいいかもしれない。
仙山線愛子駅の北にある「開成橋」から「中原浄水場」へと抜け、「鳴合橋」「柿崎橋」「渡幸大橋」を渡りながら、上流へとさかのぼった。開成橋は真新しく大きな橋だった。眼下をかなり川幅を広げた広瀬川が悠然と行くが、その上には右岸、左岸とも河岸段丘が開け青々とした水田になっている。橋は、両岸の河岸段丘をおおうように架かっている。川の誕生から現在の姿までの長い歴史を、この橋の上からなら一目で理解できるかもしれない。

昭和8年竣工の旧管理事務所。近年修復されたが、以前はフラットな屋根に 手すり壁をつけスペイン瓦をのせたモダニズム色あふれる建物だったという。

対岸に渡ってしばらく行くと、仙台で一番最初の浄水場「中原浄水場」がある。竣工は大正11年で、当時の仙台市の人口は11万人強。敷地内には旧管理事務所や噴水池、水路が登録文化財として大切に保存されているから、散策にもふさわしい。玉石をはめ込んだ水路が実に美しい。

敷地内を流れる水路。

鳴合橋に抜ける途中に大きな農家があり、畑の間を縫うように細い堀が流れている。声をかけたらおじいさんが出てきて、小雨の中いろんな話を聞かせてくださった。 「東にあるのが聖沢、西の沢は山ノ神沢と呼んでるよ。ここは沢水は豊かでねぇ、うちの田畑の水は山ノ神沢から引いてるんだ。そこに見えるのが大堀発電所、できたのたしか大正12年だったか・・中原浄水場もこんなに近いのに、この辺は水道も電気も遅くてねぇ」。

鳴合橋の上から広瀬川を望む。雨の日は幽玄な雰囲気がただよう。

山ノ神沢は広瀬川へと向かって勢いよく流れ、鳴合橋からも渡幸大橋からも、沢水がしぶきを上げて川に流れ込むのを見た。地図にものらない沢が、毛細血管のように息づきいかに川を豊かにしているか。その沢を生み出すのは、樹木、つまり山に他ならないのだ。
橋から見る川は雨にかすみ、深山幽谷とよぶのにふさわしい。柿崎橋のたもとでは、早くもガマズミが真っ赤に色づいていた。

柿崎橋のたもとで赤く色づくガマズミ。低温続きのせいだろう。

作並へと向かう途中見逃したくないのが「鳳鳴四十八滝」。広瀬川の流域では最も右岸と左岸が近づくここ棒目木(ぼうめき)付近で、川は大小の瀑布となり、狭い岩の間へと砕けていく。下流の広瀬川から想像もできないそのさまは見ていて胸が痛くなるほどだ。滝の向こうに、鎌倉山がぼっこりと不思議な姿を現している。温泉街に着いたところで、旅館の露天風呂に入った。まだ小さな広瀬川が露天風呂の際を洗うように流れ、樹木がおおいかぶさる川面を小さな魚の群が鋭く方向を変えて泳いでいく。

鳳鳴四十八滝。不動尊公園からの眺め。鎌倉山には存在感がある。

下流にいれば、川はある決まった区域を変わることなく流れる水と思いがちだ。でもそれは違う。川は木であり、川は山である。上流はそのあたりまえのことを気づかせてくれる。