■西公園に子どもを放つ

“杜の都”の呼称は、武家屋敷に生い茂っていた樹木の豊かさに由来している。その樹木は明治になっても大正になっても、いや昭和戦前までも維持されていた。木の下には、春には若葉の芽吹く枝々を見上げ、秋にはくる日もくる日もほうきを手に庭を掃く人がいたはずである。しかしいまや、心から樹木を楽しむ人はいないのだろうか。

思い浮かんだ人がいた。西公園の真ん前で子どものための美術教室「Be I」(ビーアイ)を主宰している関口怜子さんである。

久しぶりに訪ねると、いらっしゃい!とハリのある声で迎えてくださった教室は、西側の開口部が全面ガラスで西公園がよく見通せる。「ここに教室をつくって25年。“人・モノ・自然・言葉にどう出会うか”をテーマにしてきたけれど、西公園という実にぜいたくな空間があるからやってこれたのよ。うちの庭のようなものね」と関口さん。

窓の向こうに西公園 

関口怜子さんの教室で。子どもたちと西公園を楽しみながら25年。「木もずいぶん高くなったのよ」

西公園や広瀬川をフィールドにした多彩なカリキュラムが組まれ、2歳から小学校高学年までの子どもたちが、体を動かし観察し表現して“Be I”(自分である)ために活動している。カリキュラムがおもしろい。「西公園のき・木・樹」というテーマでは、伊達家の家臣の屋敷が明治8年に公園になったことを話し、公園の木の枝ぶりをじっくりと観察して描き、葉っぱを拾い集めて紙の上で構成。公園内の食べられる草を摘み、コラージュを楽しんでからおむすびにして味わったこともあった。気候と天気のよいときだけでなく、雨の日や冬の日も外に出る。昔の暮らしに想像をめぐらし、広瀬川の河原で、拾った松ぼっくりや落ち葉で火を起こしたり、好きな木を選んで絵を描くこともひんぱんだ。

写真を見せていただくと、どの子も土の上にべったりと座り夢中で絵筆を動かしているのに驚いた。公園に“放し飼い”にされ、土にまみれ落ち葉の中を走り、木に親しみを寄せる中で、子どもたちは縛りから解放され、五感を研ぎ澄まし、自由になっていく。そこからその子なりの表現が始まるのだ。「人間も自然の生きものだからね。親が自然の中で遊んだ経験を持たない世代だけれど、子どもが変わると親も変わるのよ」

子どもたちが描く樹木

好きな絵を描いてもさまざま。物語を考えて描く。

窓辺にところせましと並んだ鉢にはケヤキありモミの木あり…。ほとんどが西公園で拾ったどんぐりや実生から育てたものだという。杜の都の価値を引き出し、伝えている人がここにいた。

西公園の木を窓辺で

どんぐりを植木鉢に植えれば、やがて芽が出る。そうやって育てたいっぱいの鉢