■土と緑を子どもたちに

希望をもらった気持ちになって西公園をゆっくりと歩いた。

まだところどころに雪が残っている。雪の上にはカラスの足跡もある。ケヤキをはじめ樹木の何と太いこと。小野さんの写真に写る木々が30年を経て、ここまで育ったのだ。公園の西端からは広瀬川の流れが見下ろせる。春まだ浅い光を受ける川面にすっと黒い影が動いて、次の瞬間、降り立つのはトビだろうか。市民図書館だった建物は取り壊されているが、その前にある庭園は池の跡を残していて、江戸時代につながる公園の歴史を物語ってくれる。

確かに、子どもたちにとっては観察と創造の宝庫、いやもちろん大人にとっても、大木が育ち川を眺望できる都心の公園はかけがえのないものなのだ。

大木に育った

見事な幹が立ち並ぶ。土を踏みしめて歩く公園を残したい

まだ寒々しい公園を歩く人は少なかったが、若いお母さんと子どもたちの集団がいる。近づくと「西公園プレーパーク」の横断幕。西公園で子どもたちを自由に遊ばせる活動を進めるグループだった。ここにも自然の魅力や樹木の力を自分の暮らしに引き寄せようとする人たちがいた。

ちょうどお昼ご飯が終わったばかり。公園の木の枝を集めておこした火で煮炊きしたのか、からっぽになった大鍋が目についた。火のまわりで男の子二人が遊び、小さな子を抱っこするお母さんがいれば、公園の中を走りまわる親子もいる。

少しでも自然の中で

雪の解けかかった公園で。枝を拾ったり走り回ったりすると、みんなごきげんに。

事務局の寺牛替子さんがいう。「子どもを自然の中で思い切り遊ばせたいんです。マンションに1日、母と子では息が詰まってしまうから。公園課の許可をもらって火を焚いてご飯をつくって。みんなでみんなの子どもをみる、という感じですね」話の最中、寺牛さんの上の子が転んで半べそをかいてやってくると、寺牛さんは泥で汚れた衣服をさほど気にするふうでもなくタオルでふいてやり言葉をかけていた。

その姿を見ながら、アスファルトとコンクリートで覆われた都市で育つ子どもは、雪が解ければ地面がぬかるむことさえ知らずに育つかもしれないと思う。何としても、公園には土と木を残さなければ。大人が樹木とのつき合い方を忘れ、街の中から樹木が消えていくことは、子どもたちから自然とともに育つ環境を奪っていることにほかならないのだ。

杜の都とよばれてきたこの街に、人と自然のまっとうで成熟したかかわりを再び育て伝えていくためには何が必要なのだろう。その答えを、140年もの間市民に親しまれてきたこの川岸の公園と、そこに集う人々にあらためて学びたい。