■黙々と畑仕事に精出す人

赤茶けた雑草におおわれる藤塚

津波に流されず、五柱神社の場所を伝えていた松の木。しかし塩害によって枯れてしまった。

10月。再び訪れた藤塚は、夏の草の勢いが衰え、さらに荒れているような印象を受けた。夏に緑の葉を茂らせていた五柱神社のフジは、どこか勢いがない。ここにきて塩害の影響がじわりと出たのか残った木は立ち枯れて、雑草ばかりが目についた。この地が復興するどころか、暮らしがあったことさえ忘れられてしまうのではないか。荒れ果てた風景の中を砂をかむような思いで歩いていると、そこだけがていねいに整えられた緑の畑の中でキャベツを収穫している人がいる。藤塚で長年暮らしてきたという三浦隆雄さんだった。

五柱神社跡で

五柱神社の境内にあった石碑や灯籠はみな倒された、狛犬は流出はまぬがれた。

3月11日、たまたま遊びにきていた中学生のお孫さんに避難を促され命拾いしたという三浦さんは、仮住まいから毎日、自宅跡の畑まで通っているという。三浦さんは「小型のパワーシャベルで土の天地返しをしたら塩害も出なくてね。夏にはトウモロコシが500本もなって、みんなにやったんだ。狭っこい部屋にじっとしてらんない」と話し、家がないのはさびしいね、ともらしながらも畑仕事を楽しんでいるようすだった。それは被った大きな痛手をみずから癒しているように見えた。

この河口の集落は、洪水の苦労も味わってきた。かつては、現在のような土手がなかったため、大雨や台風は浸水の恐怖に直結した。戦後の台風が相次いだときは集落内に水が入って舟で行き来したほどだったという。「田んぼに入った泥を出すのは、牛にそり引かせて運んで、それは苦労したんだ。でも、水増しのあとは土が肥えるのか、いい野菜が採れたね」と三浦さんは昔を振り返る。

自宅跡に畑を耕す

川の土手の前にあった自宅跡の畑で、野菜をつくる三浦隆雄さん。同じように通いながら畑をつくる人が4人いるという。

復旧だ、復興だと声を上げるのでもなく、困難に向かって立ち上がるというのでもない。自然災害を受け止めて黙々とからだを動かし、藤塚の人々は大変な時期をやり過ごしてきたのだろう。もはや、ここには人が住めなくなるのかもしれないが、畑仕事に精を出しながら普段の生活を取り戻そうとしている人たちのための場所だけはつくってほしい、と願う。

私たちにできることは、この河口に江戸時代以来、農業を基盤に暮らした集落があったことを忘れずに伝えることだ。もちろん、小舟を使った対岸との活発な交流があったことも。

対岸の閖上の土手に1本も欠けることなく残った46本の「あんどん松」は、明日に希望をつなぐためのシンボルになるかもしれない。後日、渡辺さんがはずんだ声で電話をくれた。「渡し舟の記念碑ね、あのまま川岸に残ってた。よかったよ!」