■川内を大きなスケールでとらえ直す

大村さんは、卒業後仙台を離れて東京暮らしを続け、平成7年、30年ぶりに仙台に移り住んだ。「慣れ親しんでいた町名が消え、まちの規模も変わっている中で、大橋から大手門への道筋を見たとき、なかなかいいじゃないか、と思ったんです。柳や桜が大木に育ち、川のまわりの緑も豊かでね。でも、仙台駅を中心にまちをとらえて、まだまだ川は裏と認識している。それは違うんじゃないか。そこから、大橋一帯の自然環境と文化施設を融合させる仙台セントラルパーク構想が出てきたんですよ」。

大村さんは、セントラルパークを奥羽山脈から続く自然と仙台市中心部からくる都心的機能が融合する接点、と位置づけている。そして、市民、行政、民間企業、大学が協働で、構想を現実のものにする道筋を描いている。

土曜日の午後、大橋を渡り、市博物館、県美術館、そして東北大学をめぐり歩いてみると、各施設には想像以上ににぎわい、歩く人の姿も多かった。実際、中心部を離れ、橋を渡り川を眺め、樹木の下を歩くだけで、日常のあわただしい生活をリセットするような感覚が生まれる。絵を見たり、歴史にふれたりする機会は、さらにその時間を豊かなものにする。機能的、効率的な空間と、原生的な自然を抱え持つ川べりの緑の空間を、行ったりきたりしながら暮らすこと。それこそ、中流域に発展した仙台という都市がめざすべき、これからの暮らしといえるのではないだろうか。

千貫沢近くの「三太郎の小径」

キャンパス内には文学者阿部次郎にちなんだ散策路が整備されている。この近くに中島池があった。

扇坂の南側、東北大学が整備した散策路「三太郎の径」の標識のそばでは、沢音が聞こえた。仙台城趾へと登る坂道の途中にも、勢いよく流れ落ちる沢がある。広瀬川に命を注ぎ込む沢の流れだ。

こうした小さな、しかしかけがえのない遺産も、大きな構想の中でより魅力的に活かされる日がくるかもしれない。そしていつの日か、進駐軍がつぶしてしまったという大手門の南西に水をたたえていた中島池を、復元することはできないだろうか。