■残された歴史の痕跡

清水小路から流れる地下水は暗きょになりましたが、いまも川に注いでいますよ」と跡部さんに教えていただいた。愛宕大橋の北端を土樋方向に進んで2軒目、公園の芝の下を水は流れているという。
実際に公園に立って北を見ると、いままで不思議に思っていた国道から斜めに、まるで盲腸のように残された小さな道路が、地下水の通り道だということに気づかされた。公園の奥は川に向かって大きな段差になり、崖には竹が生い茂っている。

対岸から眺めると、竹の茂みの下に丸い大きな排水口が見えた。現在は仙台市合流式下水道雨水吐き口となっているが、かつては,ここが地中奥深いところでまちを支えている湧き水の出口だった。湧き水の水路が暗きょになったのは、仙台市電が荒町から南へ延長された昭和始めのことというが、それまでは川に流れ込む豊かな水は滝のように川に落ちただろう。

崖下の排水口

愛宕大橋の上流側に開けられた大きな口。清水小路からの地下水が流れ出る。

愛宕大橋で切断されてしまった愛宕神社のかつての参道入り口も確かめたくなって、愛宕橋から越路へと歩いた。この道は、愛宕橋が架けられるときに開かれている。つまり、愛宕山は二度にわたって橋建設で南側を削られているのだ。

通りに面した電話ボックスのわきに参道は残っていた。10メートルほども進むと妙見堂というお堂があり、そこから直角に右に折れて、さらに参道は頂上へと長く延びた。

電話ボックスのわき、かつては鳥居が建っていた参道入り口で後ろを振り返り、はっとした。川へ真っすぐに下る細い道が、愛宕神社の別当寺、誓願寺前から対岸へ渡ったという「誓願寺渡し」への道ではないのか。通りかかった年配の女性にたずねると、果たしてそうだった。

91歳になるというその人は「この先が誓願寺渡しで、渡し守をしてたのがこの家らしいよ」と細い道のわきの家を教えてくださった。資料によれば相沢長松なる人物が渡し守をしていたという。誓願寺渡しで広瀬川を越えてきて、この細い道を上って、城下の人々は「お愛宕さん」をめざしたに違いない。

愛宕神社への参道

いまはアスファルトでおおわれた空き地の先に参道が延びていた。右端に見えるのが妙見堂。

かなり高い位置にコンクリートの法面におおわれてある参道を上がり、愛宕神社の境内から市街地を望んだ。いまは6車線となり絶え間なく車の走る愛宕大橋も見下ろせる。ひときわ高いこの境内からの胸のすくような眺めは、長く人々の心をとらえてきた。郡山さんは、「ちょうど河岸段丘を、ひな壇を眺めるように見下ろせるから見事な眺望になる」と話す。

橋長228メートル、幅員26メートル。この大きな橋梁は、愛宕山と広瀬川に覆いかぶさり景観を一変させながらも、かろうじて貴重な資源は残したのかもしれない。眺望、地下水、古道といったかけがえのないまちの遺産を。橋を渡る車中にいては決して見えないものなのだが。

誓願寺渡しへの道

もう地元でも年配者以外、廃寺となったこの寺の名を知る人は少ないだろう。