■広瀬川は、仙台の魅力をつくり出す

一方で、新しい住人にとっては、広瀬川は仙台の魅力のひとつである。転勤族で全国のいろいろな都市に暮らした矢尾研二さんは、定年後は仙台、と決め、8年前、探しに探して広瀬川を望むマンションに居を定めた。

「青葉山か広瀬川を眺めながら暮らしたかったんです。で、リビングに座って広瀬川が見えるところ、と探したんですよ。川の流れはもちろんいいですが、その上の空の広さも代えがたい。そういう空間が仙台の魅力ですよ。でも、仙台の人は仙台には自慢するところはない、っていいますよねぇ。こんないい風景があるのに。たとえば、宮沢橋の下流、武道館側はね、フィレンツェのアルノ川の河辺に似ているし、七郷堀の水門はプロヴァンスのようだし…」矢尾さんの目には、仙台の川辺の風景が旅先や映画で知る外国の風景と重なって見えるようだ。

と、いいつつも、そこに歴史があることを知っている。「自分のイメージでしかモノを見れないというのではまずいと思うんです。400年前の道がどうだったかを知れば、いま歩いている道も違って見える。昔を知ることで、見えないものも見えてきますよね」。

外からの目線で広瀬川を眺めれば、そこにはこれまで気づき得なかった魅力が姿を現す。そして内側の目線で川を眺めれば、分厚い歴史とたくさんの物語が横たわっている。2つを結び、小崎さんの記憶を、矢尾さんのような方たちにつなぐことはできないものなのだろうか。

人の耐えない散歩道

この武道館前の並木道がアルノ川に似ている、と矢尾さんは話す。水辺を求めて、1日中、多くの市民が憩う。

■川へのいろいろな思いを束ねる

小野さんの写真中央に写るシャンボール石名坂。管理室の方には、築32年とうかがった。ちょうど「広瀬川の清流を守る条例」が施行された頃だ。水質と景観の両方に網をかけるすぐれた条例は、高いビルがつぎつぎと増えて視界をさえぎり、川が暮らしから遠い存在になることを予測してつくられたのかもしれない。

小崎さんはいう。「子どもの頃は、探偵ごっこで、土手から庭から通りまで自由に行き来してたのに、このご時世で、みんな塀を回して門つくって。何だか嫌で、うちだけはそのまんまだよ」。

通りは落ち着いた住宅街だが、マンションは入り口を閉ざし、家々も静まりかえる。長屋が並び、お味噌の貸し借りも頻繁、川へとひと続きだった暮らしを見てきた小崎さんは、「いまは便利にはなったけど、昔の方がよかったね」と、当時をなつかしむ。

それでも、家々の窓辺の上、堤防沿いの道は、市民に広く愛されていて、出勤に、散策に、一日をとおして人が歩く。矢尾さんもその一人だ。「川沿いに住む人にとって、川は裏側になってしまっているのかも。住む人が、通る人を意識して窓辺に花を飾ったりすれば、いい道になるのに」と矢尾さんは、これからを話す。

川面を眺めながら、子ども時代に大年寺山に杉の葉を拾いにいったことを思い出す小崎さん。その大年寺山を望む川の風景が大好きだという矢尾さん。まったく違った思いで川を眺めながらお二人に共通するのは、「広瀬川はいい」といいきるところだ。

お二人の話を聞きながら、川は、いろいろな人のいろいろな思いを受けとめるものだ、と思わずにいられなかった。だからこそ、その思いをもっと太くより合わせていくことはできるかもしれない。

さらに30年が経ったとき、ここからの眺めはどう変わっているのだろう。そびえ立つビルばかりを川面に映す広瀬川を、私は決して見たくない。

大年寺山を望む

川の向こうに見える大年寺山。その稜線をさえぎるように、ビルが立ち始める。やがて、山の姿が見えなくなる日がくるのだろうか。