■眺めをごちそうに集う

向山から望む霊屋橋

広瀬川、霊屋橋、そして仙台市街。見ごたえのある風景が広がる。

坂を歩いて上ったことがあるだろうか。想像するよりはるかに勾配はきつく、中ほどで息が切れてくる。後ろから勢いよく追い抜いていった男子高校生の自転車がスピードダウンし、やがて止まり、しまいに乗り手は前のめりに押して歩き出した。

でも、登りつめて振り返ると、まるでごほうびみたいに霊屋橋を望む広瀬川の絶景が広がる。高いところからの眺めに気持ちが高揚するのか、仙台を一人占めしたような気分にもなる。同時に、鹿落坂とはまぎれもなく峠道であることを知らされる。峠を越えるたび、この風景を前に数えきれないほど多くの人々が仙台への期待を、また惜別の情を胸に抱いてきたはずだ。

「うちは、そもそも峠の団子屋が始まりですよ」と話すのは、坂の上で明治40年から割烹を営む東洋館の5代目、千田惠一さんだ。汗をふきふき、ほおばる団子はさぞやうまかったろう。

東洋館から見る広瀬川

東洋館からは海も望め、広瀬川の蛇行が手にとるようにわかる。米ケ袋と向山の向かい合う川辺。

東洋館は、戦前、阿部次郎はじめ東北帝大の文学者たちが連歌の会を催したことで知られている。小宮豊隆、土井晩翠、木下杢太郎、山田孝雄といったそうそうたる顔ぶれが集った。でも、と千田さんは話す。「まじめ一方の会じゃないですよ。連歌のあとは芸者さんよんで、お風呂入って、ごちそう食べて。昼から集まって、お開きは夜でしょ。実に優雅なんです」。

お話を聞くために東洋館にうかがったのは夕方4時過ぎ。傾きかけた日差しの中で室内は少しずつ陰り始め、眼下の広瀬川もしだいに鮮やかさを失う一方、対岸の町並みは夕陽に輝いてくる。こうやって刻一刻変わる町並みを眺めたのだろうか。

鹿落坂の上から

鹿落旅館の前から坂を見下ろす。車の行き来がたえない。女子高校生が一人、うんうんと自転車を押して上がっていた。

坂には温泉に入るため訪れた人たちも多かった。ちょうど坂を上り詰めた右手、鹿落旅館にはいまも13度の鉄鉱泉がこんこんと湧き出る。歴史は定かではないが、現在旅館を切り盛りする遠藤さんのお宅は前の人から経営を引き継ぎ3代目という。「昭和30年代の中頃かなぁ、六郷とか七郷とか在郷の人たちの日帰り湯治でうんとにぎわったことがあったの。田植えや稲刈りのあと、それから土用の頃ね。座敷にお客さんぎっしり、旅館の前に出店が出たぐらい」と、女将の遠藤敞子さん。お湯でからだを癒したあと、湯治客たちは悠々と流れる川を眺め川風に吹かれた。「広瀬川の鰻や鮎を出すこともあったの。あの頃はカジカガエルがうるさいほど鳴いて……」。

大正元年に出された「仙台市全図」には、市中の遊覧暦が添えられているが、7月の「納涼」の欄には「向山」の地名が上がっている。この坂の上からの川の眺めで、暮らしに涼をよんだものだろう。かなり長い間、風光明媚なこの地は仙台市民にとって季節がめぐるたび思い出す大切な場所だったに違いない。