■川のほとりでなぐさめられる思い

鹿落観音堂

観音堂は仙台三十三観音の最後の札所となっている。お参りの人が、ときおり高い階段を上がってくる。

とはいえ、風景を愛でる行楽やにぎわいだけがこのあたりの持ち味なのではない。坂の西側は藩祖伊達政宗の霊廟・瑞鳳殿、その北隣りには瑞鳳寺、向山には長徳寺、大満寺と、寺が並ぶ。歴史をひもとけば、仙台開府以前には満海上人という修行僧もいた。東洋館が建つのも大蔵寺という寺の跡地である。明治21年に廃寺となったが、観音堂だけは鹿落観音堂として残り霊験あらたかだったこの地の記憶を伝えている。

「気が満ちる場所なんでしょう、ときどき境内でじっと手を合わせている方がいますよ」とは、お堂を守る河合宗重尼僧の話だ。楓、桜などの樹木が茂る境内はしんと静まり、ときおりウグイスがお手本のようにホーホケキョと鳴く。100年前、200年前、鬱蒼と樹木におおわれていた頃は、深い谷底に広瀬川が流れ、深山幽谷とよぶにふさわしい景観が広がっていただろう。その自然に見守られて、お堂にこもり自分の内側をじっと見つめた人々がいたに違いない。

観音堂では毎月17日、18日には祭りが執り行われる。講中は女性ばかり30人ほど。読経のあとみなでつくった料理を食べるのだそうだ。「春なら筍、夏は五目寿司、秋はぎんなん…とご飯は工夫してね」と河合さん。生活の悲喜こもごも、胸のつかえをお経でしずめ、あらたなひと月を始めるために女性たちは集まってくる。

東京育ちという河合さんは、観音堂を守るため7年前にこの地にやってきた。「東京で生まれ育ったから、仙台暮らしにはなかなか溶け込めないところもありました。でも、いまは、ここはいいところだと思うようになったの。一日中陽が射すでしょ。お月さまも、一晩見える。秋はそれはきれいなの」。話をうかがううち、まあるい月が、お堂を、川を、崖を、橋を、明るく照らす情景が目に浮かんできた。そんな静かで深い情景に、河合さん自身がなぐさめられてきたのだろうと感じた。

広瀬川は、水辺に近づきにくいとよくいわれる。でも、眺める川、それも高いところから望める川は、また違った感慨を私たちにもたらしてくれるのではないか。暮らしの疲れを喜びに変えたいときに、何かつまづきにあって自分自身をを見つめ直したいときに、人々は広瀬川のほとりにやってくる。