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私の広瀬川インタビュー

広瀬川に関心がない人たちにできるだけ広瀬川へ目を向けてもらえるよう、市民にとって身近に感じられる仙台市に関係の深い著名人に、広瀬川との関わり、想い等を語ってもらいます。
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第4回目 佐伯一麦さん
佐伯一麦さん
平成17年1月24日(月)14:00〜15:00
佐伯一麦様 ご自宅

聞き手:白井信雄、稲荷誠(三井情報開発(株)総合研究所)

『小説「川筋物語」について』
聞き手
 佐伯さんは、広瀬川の上流域から下流域までを歩きながら綴った小説「川筋物語」を書かれています。この小説を書いたきっかけや、経緯はどのようなものだったのでしょうか。
佐伯さん
 川を題材とするということはずいぶん前から考えていました。この小説は、アサヒグラフという雑誌に連載していたもので、写真とのコラボレーションの文章という形を採っていました。僕は、家が広瀬川の中流域にあって、広瀬川に一番近い若林小学校という学校を出ていますし、家も川から歩いて3分位の所にありました。高校を出るまでの一番見慣れた風景といえば広瀬川べりの風景でした。
 山に生まれ育ったあるいは山が好きな人は山男、海に生まれ育った人は海男というのがあるけれども、川男と言うのはあまり聞いたことがないですよね。しかし山男、海男というのがあるなら川男っていうのもあるんじゃないか、川男の物語が書けないだろうかと思いました。
 また、僕の敬愛している小説家に井伏鱒二さんという方がいます。井伏さんも初期の頃、「川」という掌編を書いています。川自身が主人公になっていて、上流から河口までの川の描写を事細かく綿々と書いているというものです。自分も身近に川を見ている者として、それに匹敵するだけの、川そのものを主人公にした小説が書けるんじゃないかな、と思ったということもあります。
 それに、源流の山から上流部のか細い流れになり、その後中流部にきて、仙台なんかですと、淵をつくったり、瀬をつくったり、蛇行して河岸段丘をつくったり、河口付近ではとうとうとした流れになっているというふうに、川にはいろいろな姿があります。それは写真の題材としてもいろいろバリエーションになりますので、文と写真でというテーマとしてふさわしいのではないかとも思いました。
 僕のデビュー作といいますか出世作の小説「ア・ルース・ボーイ」も仙台の高校生が主人公になっています。ここでも広瀬川は大事なシーンに登場してきます。朝日新聞の方からアサヒグラフの話があったときに、「ア・ルース・ボーイ」のその後というか、川が出てくる小説をという依頼だったので、どうせ書くんだったら川自体を主人公にして書いてみようじゃないかということで、こういう小説になりました。
聞き手
 佐伯さん自身は、川男なんですね。
佐伯さん
 やっぱり、川男だと思います。たまに色紙なんか頼まれると「我は海の子」というのがあるけど、僕は「我は川の子」なんて書いてた頃もありました。
聞き手
 本の後書きに、川を歩いてみると山があり谷がありということで、山筋というのもまた魅力的だとありましたが、一番感じたことは、そういうことだったんでしょうか。
佐伯さん
 そうですね。例えば、「山で迷った時には沢へ降りろ」という言い方があって、その沢をたどってさえ行ければ、分水嶺まで達するか、または麓の方まで達することができる。そういうのがあるから、「山で迷った時には沢へ降りろ」というように、ある人生に迷ったら川べりに佇んでみるのも良いんじゃないかな、というような思いもありましたけどね。
 やっぱり40歳を前にして、人生のある転換期というのかな、後半戦に入るという時期でもあるので、川に佇みながら自分のこれまでの人生を振り返ってみるということもあったかと思います。

『「流れ」というものの存在』
聞き手
 広瀬川の名前には「瀬」がついています。瀬があるということは一方で淵があるのですが、瀬と淵だとどちらの方が思い出がありますか。
佐伯さん
 どちらも捨て難いですが、淵は、人の記憶がそこに溜まるというか、滞るという所であったりすると思うんです。だから淵は、ここでいうと牛越橋のちょっと上流辺りになるんですが、昔は河童たち、子どもたちが飛び込んで泳いだというような、そういう思い出や歴史が溜まっているような淵もある。
 ただ、僕は花壇の近くのアパートを借りて住んでいたものですから、やっぱり花壇のあの早瀬の流れがとても好きです。記憶が溜まったり時間が滞ったりというよりは、流れるものを見て、心がさわやかになるというかそういうところがあるなと思います。
聞き手
 踊っているというか、リズム感みたいな感じでしょうか。
佐伯さん
 そうですね。僕は18歳まで仙台にいて、それから35歳位までは東京にいたんですが、その間に20回近く引越しました。川のすぐ側で生まれ育ったものですから、どうしても川の側を選んでということがあって、多摩川であったり渡良瀬川であったり神田川、妙正寺川とかありますが、小さいドブ川でも、川の側にいるとなんとなくほっとするというのがあります。
 唯一、大塚の近くにいた頃だけは、近くに川がなかったので、山手線の線路の脇を歩きながら草色の電車が通り過ぎるのを眺めて、自分の中ではなんとなく大橋辺りで見た瀬の流れに当てはめて考えてたりしたものです。
聞き手
 川の景色の良さや、オープンスペースということもあるし、流れている感じがいいんですね。
佐伯さん
 そうですね。やっぱり日常生活の中で、ある流れがあるもの、風なんかでもそうですけど、ある動きであったり、「流れ」というものは、人の生活に、あるリズムやアクセントを与えてくれるということがあると思います。川が都市の中に流れていて、その町で暮らしている人達は、そういうものを得易いと思いますね。

『積み重なる歴史の層』
聞き手
 広瀬川流域に伝わる水文化は、お祭り、地名、伝説など様々です。その中でも、「川筋物語」でも触れられている通り、淵に関する昔話や年中行事は、少し悲哀を感じさせるものが多いような印象もあるのですが、どういったことが背景にあるとお考えになりますか。
佐伯さん
 例えば、宮沢橋の所でやっている灯篭流しは施餓鬼供養で、元々は江戸時代の天保の大飢饉の時に多くの流民が流れてきて亡くなって、大きな穴を掘って毎日埋められてというような凄惨な場所だったと思います。僕はその近所で育ったから、「小さい頃はこの辺を掘ると人骨が出てくるから穴掘りなんかして遊ぶんじゃないぞ」、なんて言われました。そういう場所でまた、灯篭流しの時に屋台なんかが出て、僕も食べますけれども、その屋台で食べている人達にそういう流民の餓死した人達の姿が重なり合ったりします。
 川はただ流れているだけじゃなくて、地層なんかもそうだけど、そこに「歴史の層」を造るもので、河原であっても歴史の層を自ずから造っていて、その場所は古層と現代の層を感じさせてくれる所だとは思いますね。どこを歩いていても、歴史と共に、歴史を感じながら歩くということがありますね。広瀬川は、特に都会の東京の下町のように完全に整備して変えたものよりは意外と昔の景観を残しています。僕の好きな花壇の所から見えるチョウゲンボウの巣穴であったりとか、地層が露出しているような崖面とかは非常に好きなんだけれども、そういう歴史の層を感じさせてくれる。悲しい歴史もあるだろうし、そういうことが今に生きていることを感じさせてくれます。
聞き手
 広瀬川の歴史は、化石などを見ると、人類の歴史を遡る太古までいってますよね。人間の歴史とはスケールが違う歴史がある一方で、人が関与して、人が身近に作ってきた歴史というのもあります。自然の積み重ねと人の積み重ねの両方の歴史がある。
佐伯さん
 そうですね。僕は八木山橋なんかの下の竜ノ口の渓谷が子どもの頃から好きなんですが、小中学生の頃にあそこで化石をとったり、トム・ソーヤの冒険ごっこをしたり、蔦を伝わって崖を上って遊んだりしました。自殺の名所ということでもありましたけど。
 伊達政宗が青葉山に城を築いたのは、治水など広瀬川を意識した造りだったと思うんです。その先の竜ノ口なんかが城の後ろ側の天然の要害になるという意味もあったでしょう。あの時代はだんだん山城から平城に移っていくような時期でしたが、あえてあそこに城を構えている。
 坂口安吾は、青葉城に来てそこの急坂を登らされて、「なんで伊達政宗はこんな山の上に建てて、そんなお山の大将を気取ったんだ」というようなことを言っています。僕は坂口安吾は好きな作家ですけど、それだけに異を唱えたい。あそこに政宗が城を築いて、仙台の城下が発達したおかげで、今でもこの100万都市と言われている中に、渓谷のようなものがあり、ある程度原生林が残っているような青葉山があったり、淵があったり瀬があったりする川の流れがあって、あとは海まであってというように、色々な自然・地形がこれだけある。
 そして、鳥なんかも非常に豊富にやって来る。ここに住んでいて、鳥の声を聴くのも僕は楽しみなんですが、これだけの都会にしてみれば随分やって来ます。すぐ近くの樹齢400年位の杉の木がありますが、そこには毎年アオバズクがやって来ます。
 このように自然の宝庫といえるような都市であることは、伊達政宗のおかげだといえます。坂口安吾に異を唱えて言いたい所ですね。

『広瀬川と文学』
聞き手
 「川筋物語」では、広瀬川文化遡行という講演をされて、その中で広瀬川に関わりを持った作家について私見を語られるような講演をされたと書かれています。広瀬川と文学者の関わりは、どのようなものがありますか。
佐伯さん
 自然主義の代表的な作家の一人に、岩野泡鳴という人がいます。生まれは元々淡路島らしいですけど、東京から仙台の東北学院の英語の教師になろうと仙台に来たけれども、逆に英語の先生に試験をされて、君は英語が出来ないから生徒になりなさいと言われ、生徒になって学院で学んでいました。それで海外のエマーソンだとかいろいろな人の訳をしたんです。
 あの人は今の向山の辺りに下宿があったそうです。そこから広瀬川によく降りていって本を読むのが好きで、そうして本を読んでいると夕暮れになり、人の姿がおぼろになってくると、そこで遊んでいる子ども達が「タヌキだタヌキだ」と石をぶつけたり、そういう学生時代を過ごしたそうです。そうこうしているうちに、教師になるつもりで来て生徒として遇されたということもあってノイローゼになり、八木山の竜ノ口渓谷から自殺しようとするんです。その時に松の枝が横に張ってる所があって、飛び降りたけれどもそれに引っかかり、そこから蔦を登って、自殺の迷いから吹っ切れたというようなことがあります。その時の経験が彼の「神秘的半獣主義」という作品を著すことに結びついたという話があります。その話の半分は眉唾だとは思いますけど、広瀬川はそういうことを感じさせるような場所ではあったわけですね。
 また、島崎藤村も「若菜集」のほとんどを仙台で書いてから東京で出しました。そこに記されているのは信州の方の風景で、川の流れなんかは千曲川なんかを書いてますが、千曲川を広瀬川に見るというか、そうやって作った部分もあるのではないかなと思います。

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