広瀬川ホームページ

トップページ私の広瀬川インタビュー目次 >私の広瀬川インタビュー(第7回)

私の広瀬川インタビュー


第15回第16回第17回第18回第19回
第7回第9回第10回第11回第12回第13回第14回
第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回
第7回目 熊谷達也さん


『自然と人との関わり』

聞き手
 実際に山に入ってマタギの生活をしたり、狩りをしたりなさる中で感じられた、マタギの森や川との関わりについてお話してください。
熊谷さん
 すごく感じるのは森とか山は単独であるのではなく、必ず川とセットだということです。僕が取材でしばらく通った新潟県の集落にはきれいで栄養が豊かな川があって、その上流の方にはブナの二次林が残っています。山で猟師さんたちが熊を獲ったり、春先は山菜を採ったり、秋にはキノコを採ったりしますし、川では夏に地鮎を捕ります。下流の方はサケかマスが結構、上ってくるそうです。たいていのマタギ村と言われる集落は川を遡って行って、沢が尽きる谷の懐にありますから、清水が湧いていて当然川の水もそのまま利用できます。山の生活というのは単に山だけで成り立っているのでない、山の豊かな森と川は必ずセットなんだなと、すごく感じましたね。
聞き手
 本の中で北上川の荒々しい様子を描いていらっしゃいますが、広瀬川はそれとは相反するものがありますね。昭和25年に洪水がありましたが、人命を守るための施策が進んで、ここ最近は穏やかな川として流れています。一方で、仙台市民の中で氾濫被害の記憶がだんだん薄れ、アユ釣りや芋煮会が風物詩になっています。仙台市民の自然観、自然とのかかわりはどう感じられるでしょうか。
熊谷さん
 住んでいると実感しないかもしれませんが、仙台は恵まれすぎなくらい、恵まれていると思います。街の真ん中にはきれいな川が流れていて、ちょっと足を延ばせばすぐ海まで行けます。反対側の上流に遡れば、東京に住んでいる人が何時間もかけないと行けないような山の風景がすぐあります。すごく大きな近代都市でもあるにもかかわらず、日々の暮らしの中で、東京にはない自然との親しみ方をしている。「もっと自然に親しもうと言うけど、いつもの生活で十分自然に触れているじゃない」と言えるような恵まれ方をしていると思います。芋煮会にしてもそうです。なかなかこういう街はないと思いますよ。もうすぐ冬景色になりますが、あまり大雪が来ない代わりに雪の風景も身近に見ることができますよね。泉ヶ岳が最初に白くなる時はすごくいい感じですよね。
 北上川は見た目からしてあまりにも大きかったのですが、広瀬川くらいだと河原町あたりの土手から見ると、のどかですよね。川幅もちょうどよくて。このまえ天気がいい時にちょっと行ってきましたが、読書や犬の散歩をしている人がいて、このまわりに住んでいる人はこの川のことすごく好きなんだなあ、と感じました。
聞き手
 平成15年に仙台市でアンケート調査をしたところ、広瀬川は仙台市のシンボルと言われていますが、実際市民が広瀬川に親しむ機会が少なくなっているという結果が出ています。あまりにも市民の身近に自然があるということもあるのかもしれませんが、より広瀬川が市民にとって身近なものになるためにはまず何が必要だと思われますか。
熊谷さん
 子どもの遊び方が大きく変わったのが最大の原因だと思います。子どもたちの遊び場として川はすごく魅力的ですが、安全管理の問題がありますよね。子どもは何が危険なのかを体験で覚えていくしかないところもありますが、たぶん昔よりも親御さんが川で遊んで欲しくないし、遊ばせないのだろうと思います。子どもを遠ざけようとする結果、たとえばピクニックに行く時にそこの川でお弁当を開くという発想はなくなって、公園や遊園地のように管理されたところに行くというイメージになっていますよね。
 子どもを持つ世代は僕と同じ世代なので、子どもの頃は野山を駆け回って、危ない思いもしたのでしょうが、あまりにも生活が安全で快適で体を動かさなくてもいいようになっていたり、暑い寒いが分からない、痛いが分からないという生活に慣れ過ぎてしまっていたりするのかな。
 今は子どもたちにどんな体験をさせるかが一番大事だと思います。小説を書いていると、子どもの頃の原体験がやっぱり出てきますよ。最近増えている自然教室のようなものを積極的に利用するしかないのかな。大人が億劫(おっくう)がるようになってきているのも問題かと思います。
 僕がいつも見ている梅田川は、何年か前に河川改修した時に非常にいい状態で作り直して、降りられるようになりました。あえて飛び石を置いたんでしょうね、小さい川ですから水量が少ない時は渡れるようになっていて、たまに上から覗くと子どもたちが捕虫網を持って探検していて、「こいつらまだ捨てたものじゃないな」と思ってうれしくなります。子どもにとっては家の中でのテレビゲームも楽しいでしょうが、やってみると川遊びも楽しいはずですよ。そういう機会を大人がうまく作ってあげることが大切だと思うんです。
聞き手
 
子どもたちの成長段階においても、川に行って川に触れて中に入るという体験が大切だと思いますが、実際はなかなかそのようになっていません。今後の教育について、もと教員の立場からどのようにお考えでしょうか。
熊谷さん
 
今、総合的な学習という形でカリキュラムが組まれていますから、学校教育としてできることはまだたくさんあると思います。例えば、身近な川の周辺にはどんな生き物が住んでいるのだろうか、というアプローチを増やすのも一つの方策でしょう。また、学校教育だけではできない部分が絶対あります。家庭での教育、地域社会、行政での社会教育を総合的に考えていかないといけないと思います。
 大人は今の子どもたちはどうのと言いますが、たぶん大人が悪いですよね。余暇の過ごし方にしても、大人が上手に自然と触れ合えなくなっているのだと思います。大人がどういう後姿を見せるかを、考えるだけではなくて、行動で示さなくてはいけないのではないでしょうかね。
 僕はオートバイでツーリングに行くことが多いので、キャンプ道具も最小限しか持っていきませんが、慎ましくキャンプしている隣で、発電機を回してテレビを見ているのを見ると、「それはちょっと違うよ」と思います。自然の中に入る時に都会の快適な生活をそのまま持っていくのは本末転倒です。不便さを楽しむ心のゆとりがないのかもしれません。キャンプ一つとっても、不便な楽しさって、結構あるんですよ。でも、それを楽しむためには心のゆとりがないといけない。世のお父さん、お母さんはゆとりがなくなってきているのかな。
聞き手
 
バイクは余暇をすごすための移動手段として乗られるのですか。
熊谷さん
 
要するに旅の道具ですよね。一番いい道具かなと思います。囲われた車では感じられない、温度変化とかがわかりますから。自転車のほうがもっとわかるのでしょうが、時間がかかりすぎる。オートバイがちょうどいい。
 長いキャンプ生活はほとんど食べて、寝て、走っているだけですから、原始生活をしているようなものです。自分で食事を作って、毎日家を建てて、撤収して、分解して。そういう生活をすると自分の中に眠っていた野生的なものが覚醒したように感じるし、都会の暮らしでは必要なくなってきている生活力が必要になってきて、「ああ、生きているってこういうことだよな」と実感します。日本の社会全体がかなり豊かになってきていますから、もう一度立ち止まって、何を目指しているのかを考えなくてはいけない時期かなと思います。




熊谷達也さん『仙台市民の方や愛読者の方へのメッセージ』

聞き手
 
では最後に仙台市民の方、ホームページを読まれる方、熊谷さんの作品の愛読者の方へメッセージがありましたらお願いします。
熊谷さん
 
何気なく日常で目にしている川の風景でも、歴史を遡れば違った見え方ができてきます。例えば、たまにお年寄りから普段は全然聞かない広瀬川の思い出を聞いてみると、すごい新発見がたくさん出てくると思います。そんな風にして、いつも見ている広瀬川だけれども、昔住んでいた人たちはその都度違った風景を見ていたのだな、という視点で楽しむこともできるでしょう。また、今の広瀬川はきちっと整備されて、かなり安全な川になっていると思うので、散歩でも読書でもあるいは芋煮会でもなんでもいいですが、親しむ機会を持って欲しいと思います。
 広瀬川って、川面の高さから、岸を見ることはできないですよね。隅田川で川下りしたことありますが、東京の風景がまた違って見えるんですよ。子どもの頃、いたずらで乗ったボートから北上川を見た時も、いつもの北上川と風景が全然違って見えました。うまく工夫して、穏やかな時に川の水面の高さから両岸を見てみる、川の中から街を逆に見るというような、うまい遊び方ができないでしょうか。そうすると自分たちが暮らしている街をおもしろい視点で見られる。たぶん、これって行政の仕事だと思うので、そういう遊び方ができるように工夫してほしいと思います。



前ページへ


←トップページへ戻る ↑このページのTOPへ