1. 広瀬川創生プランの意義
慶長6(1601)年12月、伊達政宗公は仙台城築城の折、仙台開府の夢を詠んで広瀬川架橋大橋の擬宝珠(斎藤報恩会 蔵)に刻みました。「仙人橋下 河水千年 民安国泰 孰与尭天」(広瀬川の流れが未来永劫に続くように、仙台の民も国も安泰であれ。中国の永遠の時代に比較できるほどに)。政宗公は理想の国づくりを目指し、民とともに関わっていく抱負と夢を詠んだのです。
21世紀の幕が開くとともに、仙台は開府400年(平成13(2001)年)という記念すべき時を迎えました。この長い年月をはるかに超える悠久の生命を宿し、人間社会の変遷と興亡を見守りつつ、杜の都の美しい景観と潤いのある自然環境を育む源となってきた広瀬川は、現代に生きる私たち仙台市民共通の心の拠り所であり、なくてはならぬ存在となっています。
昭和49(1974)年、河川環境に関わる条例では全国に先駆けるものとなった、「広瀬川の清流を守る条例」が仙台市によって制定され、広瀬川を真に価値あるものとするための行動目標が掲げられました。それをきっかけに、厳しい規制に沿った市民行政協働の事業が展開され、水質浄化や景観・自然環境の保全に取り組んだ結果、広瀬川は環境庁(現環境省)の「名水百選」や「残したい日本の音風景百選」などにも選ばれて高い評価を受け、仙台のシンボルとしてもその名を知られる貴重な財産となりました。
今、私たちはそれらの歴史を踏まえ、真の評価にふさわしい広瀬川に向けてさらに多角的に検証していくため、「広瀬川創生プラン」を提案いたします。市民の主体的な参画により、広瀬川の新たな魅力の発見や創出を図りながら次世代へと引き継ぐ責任を、私たち仙台市民が負っていこうとするものです。
"広瀬川創生プラン"というタイトルについては、異論もありました。自然の一部である広瀬川を"創生"しようというのは、思い上がった考え方なのではないかという意見です。それに対しては、次のような説明をさせていただきたいと思います。
"創生"とは、広瀬川と私たち市民との、より良くより緊密な関わりを新たに生み出そうという考え方を示しています。仙台市内を貫流し、この街のシンボルとして多くの市民の意識に定着しているにも拘わらず、ごく一部の市民を除いて広瀬川への関心は希薄であることは事実です。仙台市が行った市民アンケート調査によれば、訪れる・川遊びをするという直接的な関わりも決して多くはありません。そのような状況から一歩踏み出し、広瀬川のおおらかな自然の魅力と、私たち人間に与える、見える力・見えない力を清新な気持ちで真っ直ぐに感じ、活力とし、より建設的に生きていこうとする姿勢をここに明らかにしたいと考えます。