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広瀬側創生プラン庁内検討会・広瀬川創生プラン素案づくり実行委員会
合同勉強会 議事録(その1)

日時:平成15年5月30日(金曜日)13時30分〜15時30分
場所:上杉分庁舎5階第2会議室

講演「市民協働の実効性を担保する推進体制について」
〜特定非営利活動法人グラウンドワーク三島を中心とした協働連携体制〜

講師:特定非営利活動法人グラウンドワーク三島事務局長 渡辺 豊博 氏


 私自身、今の話にあったように県庁に勤めて30年になる。今課長職をやっているわけだが、それをやりながら市民運動も10数年やっている。だから、行政というものの本質というか動機に不純性があったり、時々嘘つきのような状況になったりしているし、ある意味で行政の手の内や本音の建て前などということも承知しているつもりである。
 それから、市民側の方の熱い情熱もわかっているし、無責任さというのもよく分かっている。口で言うほど足腰はちゃんとしていないということも良く分かっている。それから、口が達者な人も増えているなという実態も良く分かっている。
 最大の実態は、お金を集めてくる力がないということだ。要するに経営者としての能力がほとんど欠如しているということだ。厳しい言い方をするが、やはりお金がなければ何も出来ないのだ。夢を追うことも大事だが、夢を一つ一つ着実に作っていくためのバックというのは資金調達というわけである。この時代の中で、お金をどうぞ好きなように使ってくださいという方はほとんどいない。ゆえに、地道な活動をしながら社会的な評価を受けて現実的に少しずつ社会を変えながら、その評価が会員の多さになる。そして、その評価が会費の集まり具合になってくる。バーンとイベントやって人が増えても1年、2年、3年と経っていくとだいたい40%くらいしか会費を納めてくれない。じゃあそれをどうするのか考えることがNPOのリーダーの重要な仕事である。
 さらに事業の原資を集めてくるということ、プレゼンテーションの力、資料の作り方、そういうものの重要なマネージメントの力となってくる。そうなってくると急に面倒くさくなって、やっぱり僕は川のゴミ拾いが好きだよと、山で木を植えたほうが良いということに、活動に特化してしまうと、活動が発展性というか、評価、ある意味で言うと潜在力というものが強まらないということになる。爆発力が弱く、瞬間的な力が出てこないということになってしまう。
 そういうことで、自分自身事務局長として7つの市民団体に関わってやっているわけである。PTA会長も小学校2年、中学校で2年、そして三島にある21の小中学校全てのPTA会長をやった。葬式の司会が4回、結婚式の司会を36回やっているわけだが、またこちらで結婚式をやるときは言っていただければ参りますので声をかけていただきたいと思います。
 というわけで、教育の実態というか、教育行政の実態も承知しているつもりだ。それから、親の実態というかPTAの実態も承知しているつもりである。教育現場が大変な有様になっている場面もよく見ている。そんなわけで、NPO側的に言うと、やっぱり、様々なことをやって、様々なことを知っていると、裏返して言うと社会の現実というか、もっと言葉を替えると生活者というか、身近な環境というか、そういうところで起こっている事実関係を一番良く分かっているのがそれぞれの市民団体の皆さんではないのかと思っている。
 もっと逆の言い方をすると、NPOが持つ特性、個性、意義、意味というのは、生活者のところで様々な活動をしているという強さなのではないかと思う。ということは、それぞれ理念というか大いなる志というものがあるわけだが、そのベースになっているのは、その理念を実現するための現場ということになる。だから、現場がある意味一番重要で、NPO自身がそこを離れてくると、何のための組織なのかということになるのではないかと思う。そこの評価無くして何をやっているのかということにもなってしまうのではないかと思う。
 片方では、行政はこういう立派なコンクリートの建物に入っていて、一生懸命県民、市民のために働いているというプライドを持っている。しかし行政官自身が現場に出てきて泥だらけになって生活者と同じ視点、感性、問題意識を持って物事を積み重ねていく、いわゆる、具体的に施策を作っているかというと、あまり現場に役人の姿が見えないというのが現実ではないか。
 例えば私は、先ほど言ったようにPTAを約4年間会長としてやって、副会長を含めると6年くらいにはなるのだが、PTAは21あり、一つの学校で運営委員というのはだいたい30人いるので、だいたい600〜800人、6年間でいうと数千人の人と会った。そこの中に三島市や県や国の行政官の方がほとんどいない。全くいないということである。最近は少し役人も増えてきたが、PTAという、教育という場、それも子どもを人質に出している場所に役人がほとんど見えないと。それでいて教育委員会にいたり、学校と関わっている役人もいるわけである。そしてお話を聞くと環境教育のことを偉そうにしゃべるわけである。そういう風にしてPTA会長と話を聞いていると、予想はつく。その言葉の根拠はどこにあるのか問い正したいと思う。
 ある意味で言うと、仮想空間で遊んでいるというのに近い。それも自分のお金で遊んでいるならまだ良いのだが、NPOの人たちは自己責任なので、自分のお金で遊んでいるという顔をしているわけだが、いろんなことをやっているわけで、それは良いのだが、役人は人のお金で遊んでられると困ってしまうわけである。これは、税金の無駄ということになるわけである。そういう考え方でいくと、やはり、役人の原点というか役所の原点とはいったい何なのかという気がする。
 対極的に、あるいは今までの歴史的に見ると、縦の社会というか、国、県、市町村、というようないわゆる制度とか、権限とか、資金、ある意味で事業もそうだろうが、全部縦社会に至るまではそうであり、ほとんど上から下を見る、上を見て県を見る、県は国を、市町村は県を見ている、またその下は、ここで言うと区を見ているというように、思考が全部上下関係にしか流れていないという気がする。そういう意味では思考回路というか発想のシステムがぜんぜん違っている。例えば私は役人として話しているが、30年間その世界にいたわけである。個人的にはそういう思考を壊したい、そんなところにはいつもいかないぞということである。
 市民側の発想というのは皆さんご存知だと思うが、横である。ネットワークというのは一つ一つの点であまり組織に上下関係がない。上下関係がある組織だとあまりやりたくない。やっぱり自由度が担保されているというか、逆に自由度を自分達で作っているというようでないといけない。だから、対等であるが、自由だと。しかし全く対等だと組織にならないから、合議制のある、ある意味で上下関係である、という組織だと思う。一つの団体では活動が弱いので、お互いの弱いところ、強いところを補完しあうような、相乗効果という意味合いでネットワークが必要となってくる。

 ということで、今回のこの創生プランの実行委員会ということで、資料を見ると23の団体が様々に集まってこられて、これからの広瀬川を考えようということだと思う。これは横のネットワークの組織である。やや、発想も、機能も、関わり方も横で繋がっているわけである。更にこういう実行委員会的なものを作ってもやはり横で繋がっていくのである。そして例えばリスクが起きても、人のネットワークだとか、自分はあまり信用されていないが、あいつから電話させればお金がくるとか。あいつは人に信用されているから、あいつの信用、担保を使って、お金を借りてこようと、どっかから取ってこようということである。 例えばうちのグラウンドワークの尾脇さんという人だが、尾脇さんは何十年間所得番付が一番であって、見知らぬ駅を降りて、その周辺に7ヘクタールの土地を持っている。駅を降りてずっと見える土地がずっと尾脇さんの土地である。ちなみに、文化会館、図書館の土地も尾脇さんが毎年市役所に貸している。だから、尾脇さんを掴んでいるので、尾脇さんを興奮させないように三島の市長は考えないと、もうそろそろ市の態度も悪いから、文化会館引き上げてくれる?ということになるわけである。 この間、「僕もそろそろ歳だから、市役所に寄付しようと思っているんだけどどう?」と12月の正月前に話があって、いくら寄付しようと思っているんですかと聞いたら「38億円くらい寄付しようかと思うんですけどいかがですか」というので、3800円にしてくれませんか、残りを全部グラウンドワークに寄付してくださいと言ったのだが、結局ちょっとまけて30億円くらい寄付したようだが、そういう人である。この人を掴む為に正直言って3年間かかったわけである。ロータリークラブの会長もやったし、静岡銀行の会頭もやったし。しかし全く地域活動はやらなかった。趣味は女遊び。世の中なんてものは社会貢献だとかふざけたこと言ってるな、とこういう人だった。
 でもお願いして、あの人を頭にしたことで、グラウンドワークの信頼性がダーンと上がったわけである。そういう意味合いでは私は当時事務局長をやっていたので尾脇さんにお願いした張本人の1人であるが、やはりそれはネットワークだと思う。 やはり、尾脇さんが、グラウンドワークの選挙管理委員長。選挙管理委員長がいれば、その中にいる連中は政治的活動が出来ないわけである。一切、グラウンドワークから選挙に出ることは有り得なく、私が市長選挙に出るなんてことも有り得ないわけである。やっぱりあそこは安心した、政治的に色はつかない忠実な団体であるということにもなるわけである。特に地域という単位に入っていくと、やはり政治的な色合いだとか、誰がどうこうだとかいうことが非常に重要である。そういう点では、非常に中立的な組織としていろんな人のネットワークで信頼を作ってきた。だから一人一人は問題児かもしれないが、一人一人が集まってくると、何か巨大な融合力というか、巨大なパワーを発揮してくるという組織なのである。これが行政と、縦と横とあまり関係していないという様相で、今回創生プランを作られるところで、縦糸と横糸をどうやっていよいよ使って、新しい布を編んでいくか、新しい絵を描いていくかとうところにきているのではないかという気がする。
 これは特性が違う。役割も違う。そういう意味合いで一番重要なのは絆の強いというのは、布として強靭性を持つ、そして行政のように硬直化しない柔軟性に溢れた布を作るということにするためには、お互いがお互いの特性を理解するという前提条件が必要になるのではないかと思う。お互いにお互いがあれをしろこれをしろという要求型ではなくて、お互いがお互いを知ることを前提として、お互いが自主的に自分がやるべきことをやっていくということが重要ではないかと思う。それはお互いの意識変化、変革ではないかと思う。
 私共も、行政に対して要求したり提言したりしたことは一度もない。私達は何年もかけて計画を作り、その中に行政の人に入ってもらった。そしていろんな都合、事情を聞いた。そして、議論だから、こうした方が良い、ああした方が良いということはぶつけた。そしてそれを行政の人が持って帰って、行政がいかに内部的に調整をして具体的に変わったかという答えを待っていたわけである。それはどちらが主役であったわけでもなく全く対等にやってきたわけである。ということは、我々から言わせてもらうと、行政が変わっていただかないと、我々市民の議論についてこられなかっただろうと思う。
 我々自身も一つの約束事をした。それは、自分達の組織が忙しいからグラウンドワークのことは出来ないという言葉を発した場合は辞めていただく。それならば、自分の組織のことをやっていただければ結構であるというものだ。お互いが集まってきてもう一つの新しいことをやろうするのならば、自分達のやることをちゃんとやりながらもう一つの仕事を責任を持ってやっていただくということをご理解していただかないと、組織が集まってきても、ただ自分達の主張をぶつけ合うだけの団体になってしまうという気がする。
 というのは次のステップの推進力が弱いということである。というのは、これをずっと2〜3年やってこられたというのを聞いていて、創生プランの庁内検討会と創生プランの実行委員会の二つあるわけだが、これと行政の窓口としてこの中に入ってこられてて、その窓口をやられている。それをサポートするコンサルタントはあるということで、もし、今の時点で役所等が全く抜けてしまったとしたらどういうことになるのかと思う。常に、抜けても、実行委員会が意思を固めて自立していくことの議論というのが一番重要となってくると思う。要するに、プランを作るためにやっているのか、まぁアクションプランを作られているということは聞いているが、何かを実現したいためにやっていらっしゃるのかという根幹的なところが非常に重要なのではないかと思う。
  私共は、先ほどのプロフィールにもあったように、「右手にスコップ、左手に缶ビール」という言葉を使っているわけである。あるいは議論よりアクションというような考えである。小さいことを出来ないやつは大きいことを出来ないということを言っているのだが。


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