広瀬川ホームページ

トップページ私の広瀬川インタビュー目次 >私の広瀬川インタビュー(第11回)

私の広瀬川インタビュー

広瀬川に関心がない人たちにできるだけ広瀬川へ目を向けてもらえるよう、市民にとって身近に感じられる仙台市に関係の深い著名人に、広瀬川との関わり、想い等を語ってもらいます。
第15回第16回第17回第18回第19回
第8回第9回第10回第11回第12回第13回第14回
第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回
第11回千葉直樹さん
千葉直樹さん
平成20年3月25日(火)
16:20〜17:20

 ベガルタ仙台クラブハウス

 聞き手:佐藤幸輝(仙台市建設局広瀬川創生室) 

 
『サッカーを始めたきっかけ』
聞き手
 千葉選手は、仙台生まれで、サッカーは台原のスポーツ少年団からはじめられたそうですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。
千葉選手
 台原小への転校がきっかけです。それまでは、木町通小で野球をやっていましたが、台原小にはサッカーチームしかなくて、正直いうとはじめは渋々と・・・。その時に兄も一緒にサッカーを始めたということや、やはり転校生だったので仲間に入るためということもありました。でも、何より身体を動かしたかったということです。
聞き手
 もともとは野球少年だったんですね。サッカーは、お父さんが好きだったのですか。
千葉選手
 父は野球ですね。
聞き手
 ちなみに好きなチームといいますと。
千葉選手
 当時、両親と兄は巨人ファン、ぼくひとり阪神ファンでした。
聞き手
 江夏選手や掛布選手たちが活躍された時代ですね。そうすると、サッカーしかないと聞いた時はかなり残念だったのでは。
千葉選手
 そうですね。でも、やってすぐにサッカーも楽しいと思いました。
聞き手
 子供の頃の千葉選手は、野菜など苦手な食べ物がとても多かったということですが、よく生卵を飲んでいたというのは、本当ですか。
千葉選手
 それは常にじゃないですよ。
聞き手
 試合の前には必ず飲む習慣だったとか。
千葉選手
 そういう習慣はなかったですね。もとはというと、父から疲れた時などには生卵がいいと言われたからです。
聞き手
 それと、野菜はあまり食べなかったというのは、本当ですか。
千葉選手
 野菜は好き嫌いが多かったですね。嫌いなものはよけるような食べ方をしていたので、両親もかなり大変だったようです。かなり細かく刻んで入れてくれたり、あるいは、なるべく目に見えないように料理をしてくれました。 おかげで、高校を卒業する頃には好き嫌いは全くなくなりました。
聞き手
 いろいろご両親が、工夫して食べさせてくれたおかげですね。
千葉選手
 そうですね。意識したことはありませんでしたが、当時は食わず嫌いのようなところも多かったと思います。強制的に食べさせられたものもありましたが、でも「嫌なものは嫌だ」と主張はしましたね。ただし、生卵は父の意見にしたがって飲んでいましたし、ほかにも生絞りレモンを朝一番で飲まされていました。
聞き手
 やはり、スポーツ選手として丈夫に育ってほしいという、ご両親の思いがあったのでしょうね。
千葉選手
 当時は「こんなのっ!」という感じでしたが、今思えば普段から野菜を食べなさい、ということだったと思います。




『学生時代の思い出』
聞き手
 そうした子供時代を経て、高校を卒業後東北学院大学へ進学され、サッカーと学業を平行してやっていこうと思っていたと伺っていますが、特に大学生活で思い出に残るエピソードなどはありますか。
千葉選手
 みんなと同じ時間を過ごせなかったので、大学生活の思い出はほとんどないですね。大学以外はサッカーでしたし、授業に出られなくなって、結局大学には行かなくなったんです。当時は大学に行ってもバタバタしていて、授業を受けて終わったらすぐ練習に出ていくという生活でしたので、大学でゆっくりするということはありませんでした。大学1年生というと、みんな結構自由な時間があるじゃないですか。そういう時間は過ごせなかったですね・・・
千葉直樹さん聞き手
 当初はそこまで忙しくなるとは、思っていなかったのですね。
千葉選手
 覚悟はしてはいましたけど、正直そこまで忙しくなるとは思っていませんでした。当初はやっぱりプロとしてできたチームではないというイメージもあり、どちらかというと、きちんと大学を卒業した上でプロに、と考えていました。少し考えが浅はかだったかもしれませんね。
聞き手
 当時のブランメル仙台には、社会人のクラブチームというようなイメージはあったのかもしれませんが、それでもやはり、学業と平行してやっていこうという考えは珍しかったのではないですか。

千葉選手

 さっきも言ったとおり、社会人のチームという意識しかなく、現実としてプロというリアリティを持てなかったからでしょうか。もともと自分も、高校の頃からプロ選手になりたいと思ってサッカーをやっていた訳ではありませんでしたからね。
聞き手
 小学校の時にしてもそうですが、知らず知らずのうちにサッカーの道に入ってしまったとうことなのでしょうか。結局、一般的な学生生活の思い出はなかった、と。
千葉選手
 そうですね。だから大学時代の友達って、結構少ないですね。
聞き手
 中学・高校時代の仲の良い友人たちは、特にサッカー選手ということではなく、今でも変わらずに、普通の友達として接していてくれていると伺いました。
千葉選手
 そうですね。特に、小学校の時に一緒にサッカーを始めた頃の友人は多いですね。その連中とは今も仲が良く、親同士も仲がいいんですよ。みんなほんとに実家付近に新しく家を買ったり、結婚しても実家の近くに住んだりとかで、すぐ集まれるんです。それも10人とかそんなレベルじゃないんですよ。ちょっと声掛けしただけで、ワッと集まるんです。
聞き手
 千葉選手は、今ご実家にお住まいなのですか。
千葉選手
 違います。18歳で高校卒業と同時に実家を出て以来、ずっとひとり暮らしです。
聞き手
 大学生活とプロの両立を考えられたということは、ご家庭の力強いバックアップがあっての考えだと思っていました。
千葉選手
 ないですよ。どう見ていてくれたのか分かりませんが、たぶん大丈夫、一人でやりなさいということだと思います。ぼくが一番最初に家を出たんですよ。兄は大学生でまだ家にいましたから。
聞き手
 スポーツはやらせたかったけど、それはプロとして食べていけるようになってもらいたいというものではなくて、教育の一環といいますか、何かご家庭の方針だったのでしょうか。
千葉選手
 どうなんでしょうね。良く言えば人間としてしっかり成長しろということだったのかもしれません。ぼくが一番手のかかるタイプでしたからね。
聞き手
 家事は当時から何でもご自分でできたのでしょうか。
千葉選手
 その頃はそうでもなかったと思います。本当はやればできるのにやらないでしょ、だからもう一人でやりなさい、というようなことを親も考えていたのかもしれませんね。

 


次ページへ



←トップページへ戻る ↑このページのTOPへ