広瀬川ホームページ

トップページ>広瀬川散策エッセイvol.4

広瀬川散策エッセイ

vol.1 vol.2 vol.3 vol.4
早春の川に集う人々─広瀬橋から千代大橋へ
フリーライター/西大立目祥子さん   

毎日川を見続ける人

広瀬川から河原へ 3月も彼岸を過ぎると、春は川原にもしっかりと姿を現し始める。広瀬橋のたもとから河川敷に降りると、枯れ草の下にはあざやかな緑の葉が伸び、クルミだろうか、川岸にすっくと立つ木は枝にふわふわとしたたくさんの新芽をつけていた。
 この付近から、川幅はいちだんと広く河川敷も大きくなって、いかにも下流の面もちになる。
 広い瀬の上には、広瀬橋、東北新幹線、東北本線、貨物線の大きな橋が架かる。ときおり汽笛を鳴らして列車が走る大動脈を下から見上げるのもおもしろい。

川に立つ橋脚 広瀬橋の歴史で記憶にとどめておきたいのは、明治42年、全国に先駆けて鉄筋コンクリート橋が架けられたことだ。それまでいったいいくたび、大雨のたびに橋が流され続けたか。橋には、人柱となって大雨を鎮めたという痛ましい橋姫伝説が残り、たもとにはいまも明神様が祀られている。現在の橋は、このコンクリート橋が老朽化して昭和三十四年に架け替えられ、さらに平成に入ってお色直しされたもの。橋の下に残る川床のコンクリートが、その橋の遺構であるらしい。

旧橋の遺構 この日はどんよりとした肌寒い日で眺めはいま一つだったけれど、晴れた日の広瀬橋上からの上流の眺めは、それは見事だ。はるか遠くには泉ヶ岳が雄大な姿を見せ、大年寺山が緑濃く樹木を茂らせ、川は悠々と水を運んでくる。風に吹かれて眺めていると本当に気持がいい。川が都市空間にもたらす豊かさが、たっぷりと体に染み入ってくる。

川原の水位計 広瀬橋付近の河川敷はていねいに草が刈られ手が入れられていた。ゴミもない。土の上にアスファルトの道がつけられているから、散歩の人や自転車の人ともよく行き交う。岸からのゆるやかなアプローチも人を水辺に引き寄せるのだろうか。崖の連なる中流とは違ったおだやかな表情の川は、乳母車も小さな子も年配の人も等しく受け入れる。とはいえ、河川敷には3メートルにも及ぶような水位計が立って、水害の恐ろしさと備えを暗黙のうちに教えてくれるのだけれど。

 川面も平坦で、水の流れは静かだった。いくらか水かさが多いのは雪解けの季節だからだろうか。水際にも近づきやすい。30羽を超すほどのカルガモがぽっかりと浮かんで、餌をついばんでいる。水際にはところどころ、釣り糸を垂れて待つのにちょうどいいような大きな石が並んでいる。が、近づくとゴミが目に入った。人が近づきやすい川は、汚れやすくなる。水には親しめた方がいいが、川には負荷がかかる。人と自然の相容れない矛盾がここにもあって、足取りがつい重くなった。

下流へ ベンチに座って遠くを眺めていた男性が、立ち上がって体操を始めた。腕を回したり体を倒したり、けっこう念入りだ。聞いたら毎日川に来ているという。「夏は鮎釣り、あとは散歩。名取川の近くで育ったし、釣りも若いときからやってるし、川は2日みないと気になるよ。水かさ?これは奥山の雪じゃないね。桜が咲く頃だよ、雪解け水は。広瀬川はきれいになったっていうけれど、下流はまだまだだな。だって子どもの頃は、川の水を飲み飲み遊んでいたもんな。そんなこと、いまは恐くてできやしない」。

河川敷公園 川の状態を最もよく知るのは、腰まで水につかる釣り人。そして毎日眺めている人だ。私が取材で歩いていると知ると、この男性は下流は汚いってちゃんと書いてよ、と念を押して土手の向こうに消えていった。川への愛情を感じた。
 

次ページへ


←トップページへ戻る   ↑このページのTOPへ